大戦も日本的情緒でさばけば、国家全体の責任で個人的責任はない。この日本的情緒的処理は、欧米の責任処理としては考えられないことである。国家を動かしているのは最高権力者であり、責任は最高権力者にあるというのが欧米的理性的なありかたである。あらゆる面で、日本では個的責任が問われることはない。福島原発事故が良い例である。責任を取らないことの弊害は反省しないということである。さらに悪いことは、反省がない上に、戦争に導いた当事者が、国家的英雄として美化されることになる。 反省がないから、集団的自衛権が至極当然なあり方ということになる。戦争に対して反省しながら、集団的自衛権賛成ということは極めて論理的に矛盾がある。ただ、天皇の戦争責任が無くて、東京裁判で処刑された方たちの戦争責任との整合性を問われると問題はあるが、戦勝国が決めたことであり、敗戦国日本としては、「是」としていく以外ない。情緒的でなく理性的に判断することが重要ではないか。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
大戦も日本的情緒でさばけば、国家全体の責任で個人的責任はない。この日本的情緒的処理は、欧米の責任処理としては考えられないことである。国家を動かしているのは最高権力者であり、責任は最高権力者にあるというのが欧米的理性的なありかたである。あらゆる面で、日本では個的責任が問われることはない。福島原発事故が良い例である。責任を取らないことの弊害は反省しないということである。さらに悪いことは、反省がない上に、戦争に導いた当事者が、国家的英雄として美化されることになる。
反省がないから、集団的自衛権が至極当然なあり方ということになる。戦争に対して反省しながら、集団的自衛権賛成ということは極めて論理的に矛盾がある。ただ、天皇の戦争責任が無くて、東京裁判で処刑された方たちの戦争責任との整合性を問われると問題はあるが、戦勝国が決めたことであり、敗戦国日本としては、「是」としていく以外ない。情緒的でなく理性的に判断することが重要ではないか。