941年9月7日(「戦争を辞せざる決意の下におおむね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」と決定した9月6日の御前会議の翌日)、東久邇稔彦下は東條陸相に米国の術策にはまるだけだと、辞職を求めています
東久邇稔彦著『一皇族の戦争日記』は東久邇宮と東條陸相の会談をかなりリアルに記述しています。
まず、東久邇宮は東條陸相を呼んで天皇は日米国交調整に御心をそそがれているので、これを真剣に考えてもらいたいと要請します。
これに対して東條陸相から、米国は
1:日本軍は仏印から撤退すること
2:日本軍は支那全土から撤退して支那事変以前の状態に復すること
3:日本は英米に対して支那における門戸開放、機会均等を認めることを要求している。
この条件は陸軍大臣として、支那大陸で生命を捧げた尊い英霊に対して絶対に認めることが出来ない等を強調します。
そして「東條は日米関係について、はじめはなか
コメント
コメントを書く(ID:18367902)
>>7
コメントありがとうございます。あなたのコメントに対するコメントなのですが、「>>4」を忘れてしまいました。
学校教育、社会体制の大きな変革がないと不可能なのですが、一つの基準的考え方を絶対視するものの見方考え方では、物事の本質を見る目が養われないだけでなく、物事を誤って判断してしまうことが多いのです。人間を統制管理するには、都合のよいものですが、本質から離れてしまう危険性が大きいといえます。物の見方考え方は、10人いれば10人違っていいし、違わなければ返っておかしいのです。議論を戦わしながら、より良い方法を選択するということは、時間がかかりますが、慣れてくれば、当たり前に進められるのです。如何せん、自己の意見を押し通そうとする民族性と無条件に受け入れる民族性が併存して、声が大きく徒党を組む勢力が強くなり、議論相対する活力が乏しくては、民意が社会的基準になるのが難しいでしょうね。
(ID:9443972)
NakaBBさん。
軍国主義の次なる脅威は、皮肉なことに資本主義だったりします。
戦争が人を支配する世界から、資本が人を支配する世界に。
民衆が権力と戦う構図は、
時代が変わっても永遠に終わらないでしょうね。
younghopeさん。
>学校教育、社会体制の大きな変革がないと不可能なのですが、
>一つの基準的考え方を絶対視するものの見方考え方では、
>物事の本質を見る目が養われないだけでなく、物事を誤って
>判断してしまうことが多いのです
私は元々理系なので、社会学的な評論はあまり得意でないですが。
我々日本民族が、理性的でなく感情論で動く傾向が強い原因には、
「異常発達した集団主義」が背景にあると思っています。
この特徴は、長所もであり、短所でもあると思います。
しかし、民族的な特徴だから仕方がないといって諦めてしまっては、
多様性が育たず、民主主義が正常に機能しなくなってしまう。
民族的特徴の「短所を克服する努力」が必要だと思います。
ご指摘された通り、それにはやはり教育を変革するしかない。
個性を育てるということは難しいですが、子供達の学校教育に、
「選択させる自由」を与えることが必要ではないでしょうか。
小学校から大学まで、今の教育というのは、余りにも集団主義的
であり、またマニュアル的かと思います。
勿論、トラウマで失敗を恐れるようになってはいけませんから、
子供の内から「自己責任論」など強要してはいけない。
あと、ディベート(議論)の訓練もするべきでしょうね。
ある議題について、賛成派と反対派に分かれて議論させる。
次に、立場(賛成・反対)を入れ替えて、再び議論させる。
こうした訓練を行うことで、バランス感覚を養うことができる。
(ID:9443972)
お盆休みなので、一時離れます。
よろしくお願い致します。
いや、別にここ私のブログじゃないですけどね・・。