軍人で日本を負けると予言した人はいなかったのでしょうか。問題多い人ですが、石原莞爾は「負けますな」と述べています。
軍人で特異な立場に立っていたのが石原莞爾です。「帝国陸軍の異端児」の渾名のあった人です
真珠湾攻撃への道は様々な出来事が積み重なってできてきますが、その重大な節目が1931年の柳条湖事件です。
満州の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件です。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表し、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用しました。これを実行したのが日本軍で首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐というのが有力です。
ところが、石原莞爾は真珠湾攻撃の直前、東條英機等の政策を厳しく非難しています。
石原莞爾と仙台幼年学校、陸軍士官学校、陸大で同期だった横山臣平
コメント
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younghopeさん。
>物事を見る目が偏向してない、すなわち物事を見る起点が
>澄み切っておられるということでしょう。
ありがとう御座います。
私も物事を偏見に囚われないように、できるだけ「中庸」の
精神を心がけています。
>国民の合意の上に成立していれば争いは起こらないが、
>民意と反すれば内紛紛争が絶えないことになり
政治の本質ですね。
今の政治家はこれに逆らうことばかりしている気がします。
勝手に国民が合意したことにされてしまっている。
NakaBBさん。
>歩み寄る意志がなければ話し合っても意味がないということ。
>丸め込んでうまく御してやろうという連中と話しても意味がない
対話の通用しない相手というのは必ずいますからね。
時には理不尽な行為を牽制することも必要です。
ただ、その相手との和解が、国益上必要不可欠な場合は、
機を捉えて和解するか、利益を説いて和解するのといった方法を
感情論に陥らず、試す必要があるかと。
その為には、時に忍耐することも必要かと思います。
フレデイさん。
>憲法9条は彼らが身を犠牲にして勝ち取ったもの
ああ、なるほど。
そういった解釈もできるわけですね。
祖父の考えが、なんとなく理解できました。
私ももっと勉強して、見識を増やして行こうと思います。
ただ、私の場合「理系脳」なので、限界があるのかな・・。
>石原慎太郎さんはこの本を国禁にすべきだと
>言わんばかりの激怒ぶりでした。
興味が沸いてきました。
時間を見て読んでみます。
(ID:2197362)
>>22
そうですね。対話の窓はいつもOPENでないといけないですね。「彼らの魂は靖国神社にはない。憲法9条にあるんです。」は理解できますし、「敗北を抱きしめて」も本当に出版していたのだと思います。でもあまり美化しすぎはいけないと思うんです。そういう側面と戦争の醜い側面、他人を生き埋めにしても自分が生き延びる。どちらも嘘ではないけれど、どちらが本当かといえば後者だと僕は思います。
(ID:41214147)
石原莞爾の見通しのこと
石原莞爾は、戦前の日本が満州国を支配・経営し、国力を充分にためて準備してから、欧米との次の段階の植民地切り取り侵略戦争、石原は最終戦争と呼んでいましたが、を構想していましたから、
そもそもすぐ支那事変を起こし、中国との泥沼の戦争に足を突っ込むことに反対していましたし、ましてや国力の大きく違う米国、英国との戦争を始めることに反対していました。日本帝国の軍人として「見通しを持っていた」ことは確かですが、だからと言って「支持」するわけにはいかない面があります。
支那事変を起こして軍部内で石原がこれを非難した時、支那事変を実行した武藤章は石原にむかって、「石原が満州でやったことを忠実にならって支那事変を始めたのであって何が悪い」と面とむかって居直ったと言われています。その発言は、武藤ら個人の考えではありませんでした。より侵略的な、冒険的に軍人が勝手に戦争を始め(=『事変と称す」)、既成事実化することは、軍部が権力をより深く、大きく握っていく行為でしたし、実際に実行した軍人が出世しました。それが戦前の日本政府内、軍部内での抗争の仕方でしたし、権力奪取の方法でした。そのような意味では、「内向き」の行為だったのではないでしょうか。今の官僚の自己の権限拡大行為と似た面があります。最終結果に責任をだれも負わない無責任体制でもありました。その結果、より冒険的な方向に高級軍人のほとんどが乗っかったのだと思います。石原が予備役にされたのは、決して偶然ではなく必然の結果だったと思います。
だから、「もし、石原の「正確な見通し」を受け入れていたら」という指摘はおっしゃる通りではありますが、より厳密に言えば、すでに石原の見通しを受け入れる基盤を失っていた当時の政治システムそのものの批判へと進むべきなのだと思います。