1980年、二度目の在ソ連大使館勤務を終えて、本省に帰ることとなりました。魚本大使が、「孫崎、一緒に食事をしよう」と言われ、昼食を共にしました。食事が始まるやいなや、魚本大使は、「君も本省に戻れば課長になる。それで一言言っておきたい」と切り出されました。私は「君も課長になるのだから、もう少し周りを見て行動しろ」と忠告を受けるものと覚悟しました。在ソ連大使館では、私は比較的好き放題の発言をしたのです。
「外務省では課長というポストは重要だ。それで政策が作られていく。外務省は課長には好きなように仕事をさせてくれる。自分の信念に基づいて最後までやり抜け」。
 そして、魚本大使は、自分が北米局安全保障課長をしていた時のことを話始めました。
 第二次世界大戦後、米軍は東京・代々木に兵舎・家族用居住宿舎等の軍用地を持ち、この土地は「ワシントンハイツ」と呼ばれていた。東京オリンピックの主要競技場のすぐ隣に