1980年、二度目の在ソ連大使館勤務を終えて、本省に帰ることとなりました。魚本大使が、「孫崎、一緒に食事をしよう」と言われ、昼食を共にしました。食事が始まるやいなや、魚本大使は、「君も本省に戻れば課長になる。それで一言言っておきたい」と切り出されました。私は「君も課長になるのだから、もう少し周りを見て行動しろ」と忠告を受けるものと覚悟しました。在ソ連大使館では、私は比較的好き放題の発言をしたのです。
「外務省では課長というポストは重要だ。それで政策が作られていく。外務省は課長には好きなように仕事をさせてくれる。自分の信念に基づいて最後までやり抜け」。
そして、魚本大使は、自分が北米局安全保障課長をしていた時のことを話始めました。
第二次世界大戦後、米軍は東京・代々木に兵舎・家族用居住宿舎等の軍用地を持ち、この土地は「ワシントンハイツ」と呼ばれていた。東京オリンピックの主要競技場のすぐ隣に「
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コメント
>>4
当時、日本の国の形に思いを馳せた人はあまりいなかったのじゃないでしょうか。とにかく日本は解放区ですから。自由に商売し、自由に稼ぐことが出来たのです。権力の上部構造がどうであれ、自由で束縛されないのは何よりも大事だったんです。
三島由紀夫や全学連の学生はいろいろ考えたんでしょうが、当時の人間には「過激すぎる。ついていけない」と受け止められていたと思います。そういう中で、ワシントン・ハイツはふさわしくない、と考えた魚本大使は租界があっちにこっちに残っていて平気な日本に不満を感じておられたんでしょう。そして、ふっと、この心情こそが愛国心だと思った次第です。
1964年といえば、中国が東京オリンピック開催にあわせて核実験をおこなったのは有名だし、そのかげで、多数のウイグル人が放射能被害にあわされ捨てられていたこともその後わかった。そういうなか、日本でがんばっていた官僚がいたという話だとおもう。わたしは城山三郎の「官僚たちの夏」を読んだことがあるが、ああいう雰囲気が日本の官僚に多かれ少なかれ漲っていたのだろう。
さて、孫崎さんの投げかけたい趣旨は理解できているつもりだし、全体として魚本大使の方向性が正しいことに異論はないが、わたしなどは、どうしても「朝霞に選手村を建設する手配」を全て整えていた文部官僚の、その後の苦労を想像してしまう。現在の組織文化でも、上司と勝手に結託して同僚を出し抜くような行為は嫌われる。
もっとも、外務官僚と旧内務官僚からすれば、文部官僚のような三流官僚などは、同僚ではなく、反撃される可能性もなく、こういう扱いでよかったのかもしれない。うがちすぎであろうか。
ライシャワー(米国)が寛容だったというのも、意外な感じはしない。また、結局、オリンピックを利用して物事を進めている点は、少なくとも動機において今回のオリンピックとかわらない。
孫崎さんの投げかけたい趣旨は理解できているつもりだし、全体として魚本大使の方向性が正しいことに異論はない。ただ、何もかも物事が現在よりも単純な時代だったのだろうというのが、わたしの受け止めだ。「今は昔」というときの、今との違いは具体的には、その点なのだろうなとおもう。
>>5
ご意見拝受しました。貴殿?もホームページは拝見しました。私も85年事故?当時から単なる事故でなく撃墜の可能性
もは十分承知していました。自衛隊=在日米軍の指揮下ですので在日米軍と表現しました。
ただ私なら日航機撃墜(墜落?)もしくは墜落(撃墜?)と表現します。
私は天木さんは10年前孫崎さんは5年前位からメルマガを読んでいますが、コメントはまだ2か月ぐらいです。
7~8年前あるサイト「反政府的」コメントがわずか数時間で削除された経験があります。依頼SNSでは一切コメントなど発信行為は避けてきました。
「ブログ管理者に書込み禁止にされるのが普通でしょう」の忠告も留意しておきます。
いずれにせよあなたと(あるいは孫崎さんと?)異論の私のいろんなコメントにご立腹のようですね、失礼いたしました。
(ID:18471112)
かつて このエピソードを知った経緯は失念しているが、再び触れることで、DRAMと化した自分の脳ミソがリフレッシュされる。
> それは外務省に限らない。多くの霞が関の官僚は生きがいを持って働いていた。
それは霞が関の官僚に限らない。多くの民間人も生きがいを持って働いていた。━そうも言えるのでないか。
単なるノスタルジーであるまい。紛れもない事実だろう。
>「今は昔」のお話です。
その後の日航123便撃墜事件~プラザ合意 辺りで日本人の体内にメンタルをダメにするウイルスが侵入してきた。勿論 比喩だが、一方ではこの30余年、免疫力は低下の一途を辿るばかり。ついに抗体は全滅し、今や見るも無残な死屍累々状況━そう捉えていいのでないか。