フレデイ タン のコメント

あの鬱屈した戦時体制から我々を解放したのが強大な米軍だった。冬でも半そでで元気なGI。やせ細った我々子供にはまぶしかった。家族や親せきに戦死者がいたのに米国を歓迎して受け入れた。それは私の間違い無い倒錯。しかし、私は米国が好きだった。

1960年前後、東京には、米国の租界が、あっちこっちに、あった。話で聞く上海の共同租界、フランス租界と同様のものが東京にあったのだ。私の片思いのエアホステスがパイロットと会食するサパークラブは確か六本木にあった。その界隈は日本ではなかった。横浜も殆ど全部が米国の租界だった。本当に懐かしい。

当時、若い私には、国家なんか必要なかった。安保反対。コスモポリタンを気取っていた私には「何故?」でしかなかった。

今、香港の若者が「米国の租界に香港をしてもらいたい」と願う気持ちは1960年前後に東京・横浜に暮らした私には理解出来る。私にとっては東京、横浜は解放区だったのだ。

そういう時代に魚本大使がいらした。大使に真の愛国者を感じますね。

No.2 45ヶ月前

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