朝鮮戦争と警察予備隊創設との関係
1:朝鮮戦争勃発と警察予備隊の創設①朝鮮戦争の動向と警察予備隊創設の相関関係
朝鮮戦争勃発とともに、警察予備隊が作られます。
朝鮮戦争の動きとGHQの警察予備隊創設の関連を見てください。
朝鮮の動向 日本の動向
50年6月25日北朝鮮軍、38度線突破。韓国・米軍敗走。
28日ソウル陥落
29日マッカーサー韓国で戦況視察
(直ちに一個連隊投入、二個師団への増強を進言)
7月 1日第21連隊、板付飛行場から韓国へ
3日第24師団率いるディーン少将韓国入り
(北朝鮮の猛攻)
8日 GHQ、警察予備隊創設を命令
20日大田陥落 ダレス、日本人の戦争参加検討
28日
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ワシントンでの抗議は9日目。土曜、大量の人が抗議活動に参加。全米では650か所以上で抗議活動が発生。歴史的にみて最大規模の抗議活動。警官によって殺害されたフロイド氏への哀悼だけでなく警官の暴力に対する強い反発。過去警官に不当に扱われた黒人は50%。
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コロナでプラスの動きは日本進出を計っていた米国、香港などの企業が経営悪化によって進出を断念していること。大阪では大阪・関西万博前の開業を断念していたが更に2026年前諦める。横浜では米国大手ラスベガス・サンズ断念。3月予定の政府基本方針も決まらず。
コメント
>>17
>米国は日本にあからさまに内政干渉をすることがなく、長期に
友好関係を維持しており親近感が強い。
こういう認識が成立することが驚きです。
戦争を経験し、敗戦を経験した世代にこういう人は実は多い。
敗戦の瞬間に天皇からマッカーサーにボスが頭の中で交替し
絶対服従を頭の中で親近感と変換し合理化したものとわたしは
理解してます。
>>14
50年6月25日北朝鮮軍、38度線突破。韓国・米軍敗走。
これが朝鮮戦争のはじまりです。ごまかさないでね。
>>15
阿保 ですか。
わたしは言われたら言い返しているだけですが、無礼デイさんは、私に何を言おうと自分の勝手だ、くらいに思ってるんでしょうね。
そういうところと、北朝鮮から戦争をはじめたことをごまかすところと、白井聡のヘイトスピーチを若いからと(若いというのもちがいますが)うやむやにするところと、全部同じ根っこから発しているとおもいますよ。
それに、あなたが毛沢東を信奉してようがどう評価してようが、わたしはどうでもいいですよ。私に限らず、だれもそこまであなたのことに興味はないとおもうんですが、どうでしょう。わたしは「物事を公平に見る」レッスンとして、毛沢東を出したまでです。
(ID:18367902)
内務官僚:後藤田正晴、内海倫、加藤陽三の証言である。証言の正当性を判断するには、当時の日本と米国の関係性における警察予備隊の創設の経過を見なければならないでしょう。
朝鮮戦争が勃発すると、GHQ最高司令官マッカーサーは、直後1950年7月8日吉田茂首相に書簡を送り、7万5千人の警察予備隊と海上保安庁を設置するよう指示した。目的は、日本駐留のアメリカ軍を朝鮮に派遣したが、日本国内の治安上のふじを補うものであった。
警察予備隊の要員は当初後藤田などの警察官が充てられたが、1951年3月GHQは旧軍の下級将校を追放解除し、警察予備隊幹部とした。
後藤田と同じように吉田茂は軍部に抵抗した外務官僚であり、軍備強化論者でなく、警察予備隊は軍隊ではないと再軍備を否定した「解釈憲法」を持っていたといえる。
後藤田などが目にした戦場で必要なものは、アメリカが日本人を戦場に送ろうとしたものか、朝鮮のアメリカ軍に送ろうとしたものかは大きなテーマなのでしょう。