国土③日本の特徴は孤立、パール・バック
パール・バックは一八九二年生まれ。米国の女性小説家。一九三八年にノーベル文学賞を受賞。宣教師の父と共に中国に渡る。一九二七年雲仙に一時避難のため住む。一九六〇年に来日。
・日本人とは何者でしょうか。日本人は複雑であり、人種の坩堝で、アジア大陸の北方とマレーシア近辺の島々を起源とする民族が混り合い、長い時間をかけて日本民族としてまとまり、固有の文明を発展させました。日本人は島嶼民族なので島国根性が発達しました。島嶼民族はどこでもそうです。英国人でさえそれから逃れられませんでした。しかも英国と大陸を隔てているのは狭い海峡ですが、日本と隣国の韓国を隔てているのはその六倍もある広い水域です。
大陸民族にも個性があるのですから島嶼民族にもあります。英国人と日本人の間には、大陸民族の中国人と米国人にあるような類似点があります。米国人は、共産主
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竹島、2008年ブッシュ大統領は韓国の要請でリアンクール島(竹島、韓国名独島)問題を検討するよう指示。それをうけ米国地名委員会はリアンクール島を韓国とし、その状況は今日まで継続。だがこの事実は日本の人はほとんど知らない。
コメント
答えは次の通り。
問い1.お付き合いした感じでは中国人は米国人に似ていますね。両者ともお金に関する感覚は合理的で功利的だと思います。そしてウエットじゃない。むしろドライな性格ではないでしょうか。
問い2。島嶼民族は異民族から支配されることが少なかったのでおっとりしていると言えるでしょう。沖縄人を観ているとそれが良く分かる。江戸後期の薩摩、明治維新以降ヤマトンチューに支配され続けてどうしていいか分からない迷走ぶりはその前の長ーい長ーい平和な時代に作り上げられた優しい性格に起因するのなだと思います。
問い3.イギリス人と日本人は根本的に違います。前者は小麦と牧場の民族。土地を限りなく欲する。後者は水田民族。一旦作り上げた美田はそのその拡大より維持で忙殺される。水田民族には植民地を持ちたい欲望は原理的には起こり得ない。
問い4。中國侵略は閉所恐怖症とは関係ない。幕末に生まれた米国かぶれの吉田松陰という人が長州の弟子たちに「半島大陸」を支配せよと教えたことに始まる。そんな彼らが英米の侵略精神をしっかり模倣したのは当然の結果だと私は思います。
>>3
問い3へのフレデイさんのコメントはユニークですが、だからと言って狭小な見解とは思えません。水田農業と畑地農業の違いはやがて国家進路上の大きな違いを生む原因となったのかも知れませんね。ただ・・同じ畑地農業の別の国家群(ドイツ・フランスなど)の海外進展性を見ると、航海技術・造船技術に長けたイギリスが海外進出に一歩先んじた要素もありますよね。
問い4のコメントも然りで、秀吉の朝鮮出兵こそありましたが、大陸侵攻と言うより蝦夷地侵攻より軍事的に楽だと言う程度のことであり、イギリスの如く徹底した経済的搾取構造の下での海外支配の欲求は日本には無かったように思えます。まさに明治維新以降の列強国家に仲間入りせんとする性急な軍国主義主導のものであって、侵略が日本人の民族性などではないように思えます。
「国民的な閉所恐怖症に陥り、爆発して侵攻したのです。」
という結論がまずあって、それにあわせてつくったような話だとおもいました。もちろん日本の大陸侵攻の理由はそんな単純な話ではありません。
パール・バックに限らず、外国人の日本人論は、それぞれの論者が自分の結論にあわせて見たいところだけ見ているとおもうことがよくあります。ひとつには、想定読者が日本人ではないからでしょう。
これは日本人の琉球論も同じで、琉球の宮古・八重山への苛烈な支配が現在に至っても沖縄本島と宮古・八重山地方との政治意識の違いをもたらしていることを知れば、琉球を単純に論じることはできないなとおもいます。
(ID:18367902)
パールバック著「私の日本人観」を読めばわかりやすいのであろうが、この内容では理解できないので、略歴を調べてみた。
*1892年生まれで、「生まれと祖先」は米国人、「同情と感覚」においては中国人と語っている。
*1927年 南京事件に遭遇し、日本の雲仙に身を寄せた。
*1934年 中国を離れ、二度と中国に戻らなかった。
*1960年 「津波」撮影のため5月に来日し、12月末まで滞在した。
1960年は、安保の時であり、私も鮮明に様々なことを記憶している時代である。少なくとも1960年に受けた感覚ではないでしょう。この時代感覚は、親中派の彼女が、全半生の中国時代に植え付けられた日本に対する中国人の「同情と感覚」から生まれ出たものと理解すべきでしょうか。
パールバックは、中国で前半生を過ごし、中国に米国的なものを見出していたとみられる。彼女は、「引きこもり的性格」があり、見方考え方の内面は日本的なものに「美を見出し愛していた」と感じられる。「侵攻」という言葉が本当に発せられたのであれば、中国に対する「同情的感覚」から発せられたものに違いないと思う。