物を自分で考える、その最大のツールは読書であろう。
一つの判断基準はどれ位新しい本が出たかであろう。
新規タイトル数7番目、人口当たり新規タイトル数では19番目、人口当たり新規タイトル数では19番目という数字は日本の将来にとって決して明るい数字ではない。
QUARTZは国際出版協会(International Publishers Association、IPは2005年出版の本(再出版を含む、ただし自家出版は除く)の国別タイトル数を発表した。
A発効タイトル数
中国 47万
米国 33万9000
英国 17万3000
仏 10万6800
独 8万9500
ブラジル 8万8700
日本 7万6400
スペイン 7万3200
イタリア 6万5900
韓国 4万5200
アルゼンチン2万9000
B:人口百万人に対する新規タイトル
コメント
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記事から再び昔出た本を思い出しました-「本が死ぬところ暴力が生まれる―電子メディア時代における人間性の崩壊」
掲げられたデータと該当国の民度の相関は今ひとつ分かりませんが、日本の将来が明るくなるような読書傾向は全く生じていないでしょう。メール、ブログ、SNS等により若者に活字文化戻ってきた-と見る向きもあるようですが、それで「物を自分で考える」ようになるわけではない。本にしても分厚い全頁が円周率という本もある。要は中身だ。
本などを通じてしか出会えない人物の思索、体験に触れることができるのも大きい。私の周りの若者は「そんなもの、映画なんかで見た方が手っ取り早いよ」と言うが、思い出すのは先だって生放送で対談された児島宏子氏の言葉-「その女は赤い服を着ていた」これが映画になったものを見るのと違って、小説の一節として読んだ場合は脳に独特の作用が生まれる-そんな趣旨だったと思います。
しかし、昔は物を自分で考えねば生活していけない面もあったのでないか。それが今や「生活のために考えること」は容易に「アウトソーシング」可能となった。大企業がアウトソーシングに胡坐をかき、退化して潰れるのと同じに思えます。
(ID:20213179)
自分は学歴は高くないが植草氏や先生の本と出会い、自分なり国内外の政治・経済の情報収集の必要性を感じ、好きな将棋を指すのを一時止めて、本の購読、メルマガの購読、ブログ掲示板の散策に務めています。
仕事や家の用事にも追われ、好きな将棋を指さないと腕前が落ちる事も危惧していますが、国内外の政治・経済情勢は戦後最大の正念場に差し掛かっていると感じ、もうしばらく自分なりに勉強するつもりです。
自分の職場で本をむ人は、自分と合わせ3人位で先生の危惧されているのも解ります。
新聞も購読者が減ってきていし、現在、情報発信が本以外でメルマガやブログに多く移っている面も考える必要もありますね。
それと本屋に並ぶ国内外の政治・経済情勢の本の半分位は情報操作で出版されている気が植草氏や先生の本を読み始めたらしてきました。本当のことを書かれている本を探すのにもリテラシーが必要になりますね。
(ID:19005377)
>>13
読まないつもりだったが、うっかりクリックして目が行った。
百田の本が売れてうれしそうだね。予算に潤う諸所の機関が沢山買うということもあるよね。
自分を棚に上げて「教養の程度が知れる」だと。良く言うよ。教養の定義も知らないくせに。
ああいえばこういう自民党の上祐さん!この人、若そうだから、上祐がどういう人間だったか知ってないかも知れないね。