G.B.サンソムは1904年に駐日英国大使館に配属。以降1941年までの35年間日本勤務。コロンビア大学東アジア研究所の初代の所長。『世界史における日本』(岩波新書、1951年よりの抜粋。
徳川政権の歴史は近代の影響が日本に及ぶのに抵抗しようとした歴史であったと言っても過言でない。家康をはじめ代々の将軍は日本人の生活を一つの型に固定させ、変化を防止しようと努めました。この試みは非常な決意を持って行われた。
信長と秀吉の建設的事業は中央集権のもとに日本の統一を目指したものでしたが、足利末期および戦国時代の耐え難い混乱ののちであったために一つの救いとして民衆から歓迎されました。家康が最後に覇権を握り、徳川氏は極めて鞏固な独裁を打ち立てることに成功しましたが、これは一部の外様大名が決して心底から協調しなかったのを除いては万人がほとんど感謝して全体主義的政治体制を受け入れた実例でもあり
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トランプ政権の現状見るうえで重要な記事。WSJ紙、社説で、一時米国社会ではトランプが「独裁者」になるのではないかの懸念があったが、議会、司法などのチェックが効いて、自分の思惑を実施できない「救いがたい無能者」。安倍首相も本来そうなんだけど。
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蓮舫「教育と原発ゼロが私たちの旗」、頑張って欲しい。政治家で本当に勝負できるチャンスははそう多くない。蓮舫氏にとっては今。この時しかないと頑張って欲しい。目標実現可能。国民が望む政策。在日米軍負担を独並みにすれば、国公立大学の無償化が出来る
コメント
私の民主主義にたいする疑いは、列強と呼ばれる
悪党強盗国家群のほとんどが、当時は数少なかった
民主主義国家だということを「発見」した中学生の
ころでした。
その疑問はベトナム戦争で決定的となり、
わたしから見れば概ねうまくやっている中国に対して
民主化せよとの御託を並べる「民主主義国家」に対する
怒りとなったわけです。
サムソンの文脈には何か違和感を感じます。ヨーロッパは世界でも特殊な地域です。そこでは重商主義に始まり大航海時代を経て産業革命が起こり世界の人間土地資源を略奪する競争が凄まじい形で起こり、それと並行してブルジョア革命が起こり挙句の果てにプロレタリア革命が起こった。革命をうまく避け世界略奪競争の最終的な勝者に大英帝国と呼ばれるようになったイギリスです。そういう大国の外交官を務めたサムソンが国家主義体制を強化し列強に打ち勝つための手段として採用した全体主義の萌芽を徳川政権時代に求めるのは分からないではないですが、前にも書きましたように次の点を考慮すれば的外れではないでしょうか。
続く
>>6
続き
1.徳川時代では平和と秩序(身分制度)が権力のメインテーマであって、身分を弁えて行動する限りかなりの自由があったのではないでしょうか。この傾向は日本独特のものではなく、お隣の国の朝鮮王朝もそうだし、清国も同じような傾向を示しています。徳川時代に於いて「万人が感謝して全体主義体制を受け入れた」わけではないと私は考えるのです。更に言えば、徳川時代は海外拡張政策を忌み嫌っていますので、挙国一致の全体主義とは無縁だったのです。
2.当時のことを学者は幕藩体制と呼んでいます。それは清国や朝鮮王朝のような絶対王政ではありません。西ヨーロッパに似通った体制だと私は考えています。つまり、大君主国が周辺の小王国を管理しているように徳川幕府が親藩から外様まで大中小綯交ぜに実に巧妙に管理支配しているのです。
イギリスの歴史を細かく知りませんのでイギリスについて言えませんが、他のどこの国でも独裁政権が出来上がれば古今東西一般大衆は従順になるのではないでしょうか。
(ID:18367902)
「イジメ問題」を深刻にとらえる力が、社会全体に、欠落している。
イジメ問題の本質は、学校、父兄、職員などは、本来子供たちを守らなければならないのに、三すくみの状態であり、三者の権力を維持するために、他と衝突、摩擦が起きないように配慮し、肝心かなめの「子供」の影が消えうせていることです。障害者多殺事件も同じである。問題の本質は、「国民の優性思想的差別意識」を、どのように方向転換させていくかが問われているが、自己内在する本来の姿を隠蔽する意識が邪魔をして、肝心の障害者を置き去りにして、学園の再建のみに奔走している姿は、滑稽である。
「イジメ」は「差別思想」であるが、真正面に向き合わない。教育者だけでなく、市町村、県、国家まで、本質に切り込まない限り、共生思想など育ちようがない。要は日本人のレベルが「村社会」、「鎖国国家」の域を出ないということは、外国人だからよく見えるのでしょう。
「日本の哲学者のあいだではその時代の原則や政治を攻撃した兆候は少ししかありません」。非常に重い言葉です。知識人が虚心坦懐に反省すべきでしょう。