「イジメ問題」を深刻にとらえる力が、社会全体に、欠落している。 イジメ問題の本質は、学校、父兄、職員などは、本来子供たちを守らなければならないのに、三すくみの状態であり、三者の権力を維持するために、他と衝突、摩擦が起きないように配慮し、肝心かなめの「子供」の影が消えうせていることです。障害者多殺事件も同じである。問題の本質は、「国民の優性思想的差別意識」を、どのように方向転換させていくかが問われているが、自己内在する本来の姿を隠蔽する意識が邪魔をして、肝心の障害者を置き去りにして、学園の再建のみに奔走している姿は、滑稽である。 「イジメ」は「差別思想」であるが、真正面に向き合わない。教育者だけでなく、市町村、県、国家まで、本質に切り込まない限り、共生思想など育ちようがない。要は日本人のレベルが「村社会」、「鎖国国家」の域を出ないということは、外国人だからよく見えるのでしょう。 「日本の哲学者のあいだではその時代の原則や政治を攻撃した兆候は少ししかありません」。非常に重い言葉です。知識人が虚心坦懐に反省すべきでしょう。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
「イジメ問題」を深刻にとらえる力が、社会全体に、欠落している。
イジメ問題の本質は、学校、父兄、職員などは、本来子供たちを守らなければならないのに、三すくみの状態であり、三者の権力を維持するために、他と衝突、摩擦が起きないように配慮し、肝心かなめの「子供」の影が消えうせていることです。障害者多殺事件も同じである。問題の本質は、「国民の優性思想的差別意識」を、どのように方向転換させていくかが問われているが、自己内在する本来の姿を隠蔽する意識が邪魔をして、肝心の障害者を置き去りにして、学園の再建のみに奔走している姿は、滑稽である。
「イジメ」は「差別思想」であるが、真正面に向き合わない。教育者だけでなく、市町村、県、国家まで、本質に切り込まない限り、共生思想など育ちようがない。要は日本人のレベルが「村社会」、「鎖国国家」の域を出ないということは、外国人だからよく見えるのでしょう。
「日本の哲学者のあいだではその時代の原則や政治を攻撃した兆候は少ししかありません」。非常に重い言葉です。知識人が虚心坦懐に反省すべきでしょう。