>>6 続き 1.徳川時代では平和と秩序(身分制度)が権力のメインテーマであって、身分を弁えて行動する限りかなりの自由があったのではないでしょうか。この傾向は日本独特のものではなく、お隣の国の朝鮮王朝もそうだし、清国も同じような傾向を示しています。徳川時代に於いて「万人が感謝して全体主義体制を受け入れた」わけではないと私は考えるのです。更に言えば、徳川時代は海外拡張政策を忌み嫌っていますので、挙国一致の全体主義とは無縁だったのです。 2.当時のことを学者は幕藩体制と呼んでいます。それは清国や朝鮮王朝のような絶対王政ではありません。西ヨーロッパに似通った体制だと私は考えています。つまり、大君主国が周辺の小王国を管理しているように徳川幕府が親藩から外様まで大中小綯交ぜに実に巧妙に管理支配しているのです。 イギリスの歴史を細かく知りませんのでイギリスについて言えませんが、他のどこの国でも独裁政権が出来上がれば古今東西一般大衆は従順になるのではないでしょうか。
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孫崎享チャンネル
(ID:19005377)
>>6
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1.徳川時代では平和と秩序(身分制度)が権力のメインテーマであって、身分を弁えて行動する限りかなりの自由があったのではないでしょうか。この傾向は日本独特のものではなく、お隣の国の朝鮮王朝もそうだし、清国も同じような傾向を示しています。徳川時代に於いて「万人が感謝して全体主義体制を受け入れた」わけではないと私は考えるのです。更に言えば、徳川時代は海外拡張政策を忌み嫌っていますので、挙国一致の全体主義とは無縁だったのです。
2.当時のことを学者は幕藩体制と呼んでいます。それは清国や朝鮮王朝のような絶対王政ではありません。西ヨーロッパに似通った体制だと私は考えています。つまり、大君主国が周辺の小王国を管理しているように徳川幕府が親藩から外様まで大中小綯交ぜに実に巧妙に管理支配しているのです。
イギリスの歴史を細かく知りませんのでイギリスについて言えませんが、他のどこの国でも独裁政権が出来上がれば古今東西一般大衆は従順になるのではないでしょうか。