プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャー! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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――小佐野さん、新年あけましておめでとうございます!
小佐野 今年もよろしくお願いします。2日から9日までのあいだに、7大会も取材してるから新年という感じはまったくないんですけどね(笑)。
――7大会も!
小佐野 それでも取材できなかった大会はいくつかあるんですよ。
――格闘技は2001年から大晦日興行が定着してて年末年始はドタバタしていますが、プロレスも忙しいんですね。
小佐野 昔から元旦興行がありましたね。私は『週刊ゴング』時代、全日本プロレス担当だった時期が長いから、恒例となってた2日と3日のお正月興行に顔を出していました。
――いまは後楽園ホールで「年越しプロレス」があったり、団体も増えてるので正月興行がたくさんあるわけですね。
小佐野 ……もうちょっとノンビリしようよと言いたくなる気持ちもありますけど(笑)。
――ハハハハハハハ! それで今回は“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーについてお伺いします。
小佐野 ブッチャーと言えば、この写真を見てください。ブッチャーにやられているのは私なんです(笑)。
――うわあ、小佐野さんが若い! そして大変だ!!(笑)。
小佐野 このとき私は26歳。87年の世界最強タッグの後楽園ホール大会の写真なんです。81年に全日本から新日本プロレスに移籍したブッチャーは、このシリーズから戻ってきて。この日は公式戦でファンクスと当たったんですけど、私は試合前にブッチャーから控室に呼ばれたんです。
――えっ、どういうことですか?
小佐野 その昔、ブッチャーが『東京スポーツ』のカメラマンのカメラを鉄柱にぶつけて破壊したことが話題になったんです。そのシーンはテレビでも放映されてかなりの衝撃だった。ブッチャーとしては久しぶりの全日本復帰で何かインパクトを残したいと考えたんでしょうね。なので、顔見知りの私を呼び出して「乱闘の際におまえのカメラを壊していいか?」と。
――イヤな相談!(笑)。
小佐野 「壊してもいいけど、弁償してもらわないと困りますよ」と言ったら「カネがかかるのか?わかった。カネを使ってまでやりたくない」ということで話は終わったんです。それでブッチャーとファンクスの試合をリングサイドから写真を撮っていたら場外乱闘をやりだして。ブッチャーが私に近寄ってきたと思ったらカメラを掴んだ。「あ、やらないと言ったのに裏切った!」と。
――お金がかかるのに!(笑)。
小佐野 でも、カメラを壊さなかったんですよ。ブッチャーは取り上げられたカメラで私を殴ったんです(笑)。
――それでも充分イヤですけど(笑)。
小佐野 それだけで済んだわけじゃないですよ。私はブッチャーに胸ぐらを捕まれ、フェンスの外に放り投げて、この写真のように椅子で殴られたんです。こうなると何をやられるのかわからない。でも、額を切られるのだけは困るから顔だけは隠したんです。力いっぱい椅子で殴ってくるので、変に動くとケガをするからジッとしてて。
――あ、全力で叩いてくるんですか!
小佐野 お客が見てて手加減はできないですから、本当に痛いんですよ。背中を殴られるんですけど、お腹に響く痛さというのかな。急所をやられると身体の中が痛くなるじゃないですか。それと同じ痛さですね。
――うわあ……。
小佐野 デビュー前だった新弟子の小橋建太に「大丈夫ですか?」ってオンブされて控室に担ぎ込まれて。痛いは痛いけど、ブッチャーはプロなので素人相手にケガさせることはしないんですよ。身を委ねておけば、そこまでの大ケガはしないんです。
――そこが難しいです(笑)。
小佐野 最初の一発目はこっちもビックリして、思わずヒジで椅子を受けちゃったから打撲で湿布を貼ったけど。問題はそのあとですよ。このまま控室で休んでいたら、日本初となるスタン・ハンセンvsブルーザー・ブロディのタッグ対決が取材できないわけですから。
――全日本に復帰したブロディがハンセンとの超獣対決を行なった大会なんですね。
小佐野 この対決は全日本担当として、どうしても取材しないといけない。私は着ていた服もビリビリに破られていたんですけど、馬場元子さんがTシャツを持ってきてくれて。そのときに「どうしてもハンセンvsブロディの試合が見たいんですが……」とお願いしたんです。元子さんとしては「さすがにあんなにやられているのに普通に表に出ていかれるのは困るから」と。
小佐野 「バルコニーの隅から見るなら……」という条件でなんと取材はできたんですけどね。ブッチャーにはあとから「大丈夫か?」なんて聞かれたけど、全然大丈夫じゃないですよ(笑)。
小佐野 その頃の『月刊ゴング』って外国人取材はウォーリー山口さんがやっていて。私も一緒についていくから、外国人レスラーからすると山口さんのボーイだと思われたんでしょうね。
――だから襲ってもいいだろう、と。
小佐野 プロレスマスコミなら大丈夫だと思ったんでしょうね。変な話、訴えられても困るじゃないですか。当時日本テレビのアナウンサーだった倉持(隆夫)さんがブッチャーとシークの乱闘に巻き込まれて大流血したときに、倉持さんは日テレの社員だったから訴える・訴えないという話も出ていたんですよ。
――ちなみにブッチャー以外のレスラーに襲われた経験はあるんですか?
小佐野 タイガー・ジェット・シンに襲われた。
――定番!(笑)。
小佐野 サムライTVの『バトル☆メン』に出たときにやられました。シンはあの番組に2回出たことがあるんですけど、そんなときにかぎって私がMCなんですよ。1回目はサーベルで殴られ、2回目はターバンで首を絞められる。40歳過ぎてるのに、まだこんな目に遭うのか!?っていう(笑)。
――シンも変に抵抗すると危ないんですか?
小佐野 危ないですね。サムライTVのスタッフには「やられたらジッとするしかない」ってことは言っておきました。あとシンが怖いのは、誰も見ていない場所で襲ってくることなんですよ……。
――あ、ボクも誰もいない場所なのに、ホウキで殴られたことがあります!
小佐野 私はホテルのエレベーターで一緒になったときに挨拶したら頭をガンと殴られましたからね。
――挨拶したら殴られた!(笑)。
小佐野 ブッチャーの場合は他人が見ていて自分のプロモーションになるときにしか襲ってこないんだけど、シンはどんな場所だろうが襲ってくるから。シンの話になっちゃって申し訳ないけど(笑)、シンが来日してるシリーズのときは、会場に着いたらまず外国人選手控室の場所を把握すること、あとは電車や飛行機でシンと一緒にならないことを注意してましたね。知ってる顔を見れば必ず襲ってくるから。
――こうなると猪木さんの伊勢丹前襲撃事件は“底が丸見えの底なし沼”ですね……。
小佐野 最悪一緒の空間になったらシンの存在に気が付かないこと。「あ、シンだ!」という態度を取ったら向こうは反応するから。
――目が合ったら襲ってくる猛獣!
小佐野 あるとき早目に全日本の会場に着いたから、控室の通路で三沢光晴と話をしてたら、後ろで何か気配したんです。三沢は「小佐野さん、後ろを振り向かないほうがいいよ。いまシンがこっちを見てるから」って。振り向いたら襲われてましたねぇ。
――もはやホラーです(笑)。
小佐野 ホテルのロビーでジプシー・ジョーと話をしていたときも怖かったですよ。シンがやってきて「おまえの雑誌を見せろ!」と。『週刊ゴング』を渡したら「俺のことが載っていない!!」と顔をヒクヒクさせて怒り出してね(笑)。
小佐野 そのときはジプシー・ジョーが「そうやって脅かすから取材できないんだろ」と取りなしてくれたから助かったんですけど。シンが頭がいいのは各社にひとりは話ができる記者を作っておくことなんです。そうしないと、まるっきり取材ができなくなっちゃうから。
――そこはちゃんと計算してるんですね。
小佐野 たまに「話をしてやる!」と記者たちを控室に呼びつけるときがあるんですね。国際血盟軍の鶴見五郎さんが通訳しながらシンが暴れないように抑えるんですけど。
――イヤな合同取材ですねぇ(笑)。
小佐野 シンって喋りたいことが終わると身振りがどんどん激しくなってきて、こっちも「そろそろ危ないな……」っていつでも逃げる準備はしておくんです。シンが「ハタリハタマタ!」って暴れだしたら記者たちは蜘蛛の子を散らすように解散です(笑)。
――ハハハハハハハハハハハ! マスコミも気が抜けないですね。
小佐野 アリーナに入ったらブッチャーも危ないけど、バックステージは大丈夫ですからね。シンは特別ですよ(笑)。
――同じヒールでも姿勢が違うんですね。だからというわけじゃないですが、2人の仲は良くなかったですよね?
小佐野 同じヒールのポジションだし、基本的に仲は良くないと思うんだけど。シンとブッチャーが全日本に来ていたときに、若い選手とメシを食いに行ったら、どっちがおごるかで2人が揉めだしたという話もあって。
――そんなところで意地の張り合い!(笑)。
小佐野 「おまえより俺のほうが度量が広いんだ!」ってアピールですよね。
小佐野 ブッチャーのことはね、初来日のときから見てるんですよ。ブッチャーの初来日は1970年だから、私が小学3年生のときですよ。小学生でありながら『ゴング』とかプロレス雑誌を読んでいたからプロレスの知識はあるわけですけど、ブッチャーのことは何も知らなかった。
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