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RIZIN香川大会でルイス・グスタボと対戦する野村駿太インタビューです!(聞き手/ジャン斉藤)


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――
お住まいはBRAVE世田谷近辺なんですか?

野村
 去年の年末ぐらいに引っ越しました。ここからだとロータス世田谷にも自転車で行けるし。

――
BRAVE世田谷を拠点にいろいろと動かれてるわけですね。

野村 そうすね。原宿のBAMFで寝技をやって、代官山のハレオでトレーニングして、あと石渡(伸太郎)さんからMMA全体の感覚を教わるというか。

――
ああ、塾長からも。

野村
 はい。MMAにどうアジャストすればいいかを考えるみたいな感じです。

――
技術を身につけても、MMAにうまく取り入れるのは大変だから、そこは石渡さんにサポートしてもらっているわけですね。

野村
 空手だけじゃダメだってことでキックやボクシングをひたすらやっていたときがあったんですけど、そうしたらテイクダウンをめちゃくちゃ取られるようになって。空手だけのときのほうが取られなかったんです。でも、空手だけだと、それはそれでうまくいかないことがあったりとか……MMAをどう理解していくかは難しいですね。

――
頭が良くないと難しいですよね?

野村
 自分は頭が良くないです(笑)。

――
野村選手はBRAVE所属ですけど、石渡さんとはどういう繋がりがあったんですか?

野村
 ボクがやってた帝京大学空手道部の初代OBが石渡さんのお父さんらしくて。

――
古い繋がり!(笑)。

野村
 あと堀口恭司選手のお兄ちゃんも帝京大学空手部。道場には60期生くらい分の木札が飾ってあるんですよ。で、石渡さんがRIZINで「打倒・堀口」だったときに、大学で空手を教えてくれてる人の道場が巣鴨にあったんですけど、石渡さんが「空手家はなんであんな早く動けるのか」ということで習いに来てて。白帯を巻いて練習してたんですよね。

――
研究熱心ですねぇ。

野村
 そのときは接点がなかったんですけど。ボクがMMAでデビューして1~2戦経ったときに「何かを変えなきゃいけない」と。石渡さんはMMAのために空手を習いに来てたから、空手から何か感じたものは絶対にあるじゃないですか。

――
「MMAファイターから見た空手とは何か?」と。

野村
 そうっすね。石渡さんに話を聞くことで、それがわかるかなと思って。で、いきなり石渡さんにDMを送ったんですけど、返事がなくて。石渡さんに空手を教えていた先輩につなげてもらいました。ボクのDMに気づかなかったみたいです。

――
本当に気づかなかったんですかね?(笑)。

野村
 うーん、いきなりDMが来たらちょっと怪しいですよね(笑)。それにデビューしたばっかりの選手ですからね。

――
しかし、デビュー直後なのに変化を求めるっておもいきりましたね。

野村
 BRAVEでは宮田(和幸)先生や芦田(崇宏)さんにもお世話になって、いまの自分があるのはBRAVEがあるからなんですけど。石渡さんにも見てもらって2~3年くらいになります。石渡さんはMMAの進み方を教えてくれるというか、「オマエはこうしたほうがいい」と矢印を示してくれますね。絶対に何かしら宿題をくれるというか、その宿題をやることで、ボクがやりたいMMAとつながってきて「これもできる。あれもできる」と。

――
そういう出会いって運命というか、石渡さんが空手を習いに来てなかったら野村選手は連絡を取ってなかったかもしれないし、DMをスルーされても再度アタックしなかったら……。

野村
 いま思えばDMを送ったときはちょっと生意気というか。ボクも2戦目くらいの選手からDMがあっても「面倒くさっ」って思いますよ(笑)。

――
まるで石渡さんが面倒くさがってスルーしたみたいじゃないですか(笑)。

野村
 ハハハハハ。その頃、石渡さんは指導者としてやり始めたタイミングだったんですよね。現役でも一緒に練習してくれたと思いますけど、MMAコーチとして毎回見てもらえるようになったので。

――
しかし、石渡さんも堀口恭司を知るために白帯を巻いて空手をやるってさすがですね。

野村
 そこは鈴木千裕選手がクレベル・コイケのところで練習するのと似てますね。「行ってみないとわからん」みたいな。

――
大学の空手部のときはMMAを意識してたんですか?

野村
 まったく。でも、「格闘技に向いてる」とは言われてはいたんですよ。伝統派空手だから直接当てちゃダメなのに当てちゃって。相手にケガをさせて反則負けになっちゃうことが多くて。ボクは勝ちたくて一生懸命やってるんですけど……どうしても当てちゃう。

――
寸止めって難しいんですね。

野村
 そこも技術が必要なんですけど、それだと「いかに当てるように見せるか」というスポーツになってきちゃって。そこはボクの求める強さとちょっとかけ離れるのかなと。大学のときはチームで勝ちたいってことで頑張ってたんですけど。社会人になってまで空手を続けたいと思わなかったんで。格闘技に向いてるというなら、ちょっとやってみようかなって。

――
空手だったらキックボクシングは考えなかったですか?

野村
 そこはホント直感というか。あまり深くは考えてなかったんですよね。堀口選手の空手がMMAで通用するなら、空手の実績はボクのほうがありましたし、「俺もいけるんじゃない?」ってくらいの気持ちで。実際にやってみたら全然違ったんですけど(苦笑)。

――
ハハハハハハハ!

野村
 「全然違うじゃん!」みたいな。堀口選手はプロモーションで、わざと空手を見せてたと思うんですよ。

――
「俺の武器は空手だ」と?

野村
 UFCの最後のほうはレスリングで勝ってるのに、RIZINに戻ってきたからはほとんど打撃で勝ってますよね。わざと空手を見せてるんじゃないかって思うくらいです(笑)。

――
堀口選手の空手を支えてるのはレスリングですよね。アメリカン・トップチームに移籍してから一番伸びたのはグラップリングですし。

野村
 そうですよね。MMAはレスリングしてないと強くなれない。だからレスラーがたくさにるBRAVEに入ったんです。

――
BRAVEは「レスラー虎の穴」ですもんね。その前に自衛隊に入りましたよね?

野村
 はい。自衛隊で空手の全日本に出ようかなと。お金も貯められるし。でも、新型コロナの真っ最中でまったく外出させてもらえず、行動にも制限があって……。そのときに自衛隊でレスリングをやってる奴と友達になって。その子も最近MMAを始めたんですけど、「レスリングでつながりがあるからBRAVEを紹介しようか」と。

――
で、自衛隊はすぐやめちゃったわけですね?

野村
 はい、半年くらいで。

――
それはおもいきりましたねぇ。

野村 めっちゃ止められましたね(笑)。

――
ボクも親御さんなら止めますよ!(笑)。最初からBRAVEしか選択肢はなかったんですか?

野村
 そのとき23歳やったんで。仕事をしながら格闘技やったとしたら、トップになるのは30歳とかになっちゃう。やるならUFCとか行きたかったし、仕事しながら夜だけの練習では甘くないだろうなと思って。それでBRAVEに体験に行ったときに、レスリングの全日本チャンピオンがBRAVEに入ると。それが原口伸なんですけど。宮田先生が「オマエら2人が入るんだったら寮を作るから」と。それまでの内弟子たちはジムに住み込んでいたんです。武田(光司)さんはジムに布団を敷いて寝てたらしいんですけど。ボクが入るタイミングで一軒家を借りて、そこを寮にして最初は3人ぐらいで住んでいました。いまは10人ぐらい住んでるらしいんですけど。

――
寮が無法地帯化している動画を宮田さんがアップしてましたね(笑)。

野村
 高校生あがりの子たちが入ってるんで、そんな感じです(笑)。その前から原口のお兄ちゃん(原口央)はBRAVEにいたんですけど、いきなりだと大変ってことで一緒に住んでくれました。家賃もいらないし、光熱費も出してくれる。夜はジムの指導を手伝ってお金をもらって練習する生活ですね。

――
格闘技漬けの生活ができたわけですね。

野村
 なんで、もう5ヵ月後くらいにプロデビューしました。

――
その5ヵ月間はどんな感じでした?

野村
 いや、もう地獄でしたね……(苦笑)。最初から武田さんとのスパーリング地獄で。10日、2週間くらいで耳がわきました。武田さんと組んだらもう壁なんですよ。動かない。真っ黒だったし、ホントに壁です(笑)。

――
心が折れてやめてもおかしくないというか……。

野村
 一緒くらいに入ってきて、やめた奴もいましたね。あのとき武田さんはRIZINで久米鷹介選手とやる前だったんですよ。

――
大激闘だった武田vs久米戦。

野村
 あの激闘が練習でもそのままだったんだで(笑)。あのときの経験があるから、いまのボクがあります。もう武田さんを追いかけて練習しまくったというか。武田さんは草加のBRAVEだったんですけど。

――
BRAVEにはあちこちにジムがあって、中心拠点の三郷でプロ練をやるけど、武田さんは草加で指導をされてたんですよね。

野村
 三郷のプロ練にみんなが集まって、あちこちに散らばる感じですね。武田さんから「草加の練習にも来いよ」と誘われて。正直、行きたくなかったんですけど(苦笑)。

――
壁から逃げたい(笑)。

野村
 武田さんはライト級の日本人でトップだったから、この人に通用すれば世界と戦える。それで三郷だけじゃなくて昼も夜も草加でやることにしました。草加で昼に練習して、そのあとキッズクラスの指導があって、夜のクラスまで30~40分の空き時間に武田さんからエビやタックルの基礎を教えてもらって。武田さんは休めるのに自分に時間を割いてくれました。

――
そうやって導いてくれる人がいたから、キツイ練習もできたってことですね。

野村
 「もうやるしかない」とは思ってたんですけど、あの頃はしんどすぎて記憶がないです(苦笑)。朝も昼も夜もずっと練習してるから……。

――
その地獄の日々がいまの野村選手を作った。

野村
 あのときの地獄がボクの下地ですね。あれがあったから乗り越えられたこともたくさんあったのかなと。あんなにやったらテイクダウンデフェンスとかすぐ覚えるっすよ(笑)。


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