ミュージカル「アニー」を観た、丸美屋食品さんプレゼンツ。

2001年に観たのが最後なので16年ぶりになる。「アニー」は僕がADK在籍時の1989年から2001年版までスタッフに加わっていて毎年何回も見ていた思いで深い作品だ。作品そのものとは関係ないけど、1997年にはあの10歳の富田麻帆さんの伝説の美少女アニーもオーディションから見ていてその後の僕の麻帆押しになった作品でもある。

 

今回からスタッフが演出は山田和也さんに替わり、音楽監督に佐橋俊彦が入ったと聞き、見慣れたジョエル・ビショッフの演出がどういう風に変化したか、あの耳に慣れたチャールズ・シュトラウスの音楽を、佐橋がどういう風にアレンジしたか聴きたくなって、NTVの最初からのスタッフで今でもプロデューサーしている早乙女さんにチケットをお願いしてみた。

 

音楽は、やっぱり佐橋の響きが聞こえた。彼のどことなく品のある流麗な耳に心地よいサウンド、なんでなんだろう、メロディは変わらないのに聞こえてくる音楽は優しく佐橋の人柄のように響く。もともとの音楽は素晴らしい、どの曲をとっても無駄のないその場面に必要なメロディと歌詞を持ち心情を余すところなく伝えている。佐橋のアレンジはその上に彼の人柄と品格が乗っている、ように感じるのはひいき目だろうか。でも耳は正直だから感じたことをそのまま書くとこうなってしまう。

 

演出も山田さんのモノになっていた。篠崎さんの演出は置いておいて、ジョエル・ビショッフは子供たちに自然で素直な演技をさせていてさすがだな、と感じていたのだけど、でも彼が若かった分、僕が観たブロードウェイでの「アニー」と少し違って現代を感じさせる演出だったような気がする。
そこを山田さんは全体に空気感としては歌の力を多用しオーソドックスな物語をわかりやすく見せると言う昔のザ・ミュージカルに戻し、しかもブロードウェイミュージカルの持つ大衆性に依拠した娯楽という部分を、例えば大道具でいえば古いリアルなアメリカの大富豪の邸宅というよりも豪華絢爛の空気が出てしかもある種の抽象性のある道具にしてそれを動かして変換の妙を見せるとか、アニーに何度も色数の多い派手な衣装を着せて今の女の子風かわいらしさをアピールするとか、分かりやすい楽しめるものにしていた。「アニー」は素直に見れば、両親がいなくても寂しいだろうけどそこ感じながらでも、明るく生きていこう、という誰でも引き込まれる感動の物語と音楽なので、見た目を少し派手にして視覚的に入りやすくした山田演出は、この路線で正解だと思う。

 

楽屋で青柳塁斗くんを訪ねた。ルースター役がハマっていた。バタ臭いニューヨークの下町に居そうなちょっとやんちゃで人をだましても、まあ大しただましではないけど、そんなまともとは言い切れないいい加減な男を、見た目も、過剰な動作でも完ぺきに表現していた。

テニミュ役者では中河内くんと双璧の高い身体能力を、アクションがあるわけではない劇中の日常性の中で使い切れないほどのその塁斗の能力を、塁斗だからだから始めて成立する変なキャラクター性を表現する過剰な動作に移し替えていて完璧だった。岳人を除き今まで見たどんな塁斗よりこのルースター役が一番彼に似合っていた。歴代ルースター役に比べてみても塁斗のそれは出色の出来栄えだったと思う。

 

塁斗が個室楽屋、驚き。楽屋前でパチリ。