僕が、どうしていわゆる2.5次元ミュージカルを僕の独自の方法で作り始めたのか。
どうして2.5次元ミュージカルが、僕が作り始めた方法がベースになって今や日本の娯楽の一つのジャンルとして定着し、年間300万人ともいえる観客を動員するまでになった、のかを僕なりの仮説としてここに提示しておきたい。
初めに言いたいことは、僕は舞台つくりの常識は破ったが、ミュージカルの型式=フォーマットは守った、だ。
僕が1991年8月にSMAP主演で作った「聖闘士星矢」@青山劇場、
1993年12月草彅剛・長瀬智也・入絵加奈子主演「姫ちゃんのリボン」@博品館劇場、
2000年12月竹内順子・甲斐田ゆき・三橋加奈子らのアニメ声優に声で演じたキャラクターを舞台上でも演じてもらった「HUNTER×HUNTER」@新宿スペースゼロも、
そしてついにブレイクして一般の人も観に来てくれるようになった
2003年4月の無名の新人俳優たちで作った「テニスの王子様」@池袋芸術劇場中ホールでも、
僕が意識したことの第一は、今までのミュージカルや演劇の常識は信用しない、新しい基準で作ろう、だった。
それは⽇本でも世界でもミュージカルの世界での常識とは、舞台上では俳優の技術は完璧が求められる、歌唱⼒ のない俳優は舞台に⽴てない、ダンスが踊れない俳優は舞台に出てこられない、セリフをきちんと発声できない 役者は役者ではない、稽古場で仕上げて初⽇公演では完璧を⾒せる、だった。こんなこと誰が決めたんだ、って思った。
これが観客が求めているものだったら、それはそのような俳優と観客 たちに任せておけばよい。でも⾃分が⽬指していたものは、漫画アニメ世界の再現だった。
技術が稚拙でもキャ ラクターに⾒えればよい、初⽇にできていなくてもやっているうちに成⻑し完成度は上がる、で何がいけないん だ。 キャラクターが好きになった漫画アニメファンをさらに、その世界にのめりこんでもらうために、その世界に浸 ってもらいたいがために作る、漫画アニメファンに向けたミュージカルを作るんだ。⾳程が取れなくても、ジャズダンスの基本の1番か ら5番のポジションを知らなくても、セリフがはっきりとは聞き取れなくてもいい。セリフは観客が知っている、 いつものあのセリフだとキャラクターの決めセリフはすでに頭に⼊っている、もごもごでもいいんだ、ただし思 いっきり叫べ、体全⾝でそのキャラクターになり切れ、汗をかけ、全⼒で⾛れ、とほとんどが何の経験も持って いない俳優たちに何度も念を押した。
観客が求めていたものは⾃分の好きなキャラクターが⽬の前に現れることで、俳優がそのキャラクターになり切 ってくれていれば、あとは⼆の次になる。なり切ることに誠実であるかどうか、漫画アニメのキャラクターと同 じ熱量がその俳優たちにあるか、舞台上にファンである観客たちがいつも接している漫画アニメ世界と同じ熱量 を感じられるか、舞台上に⾃分の好きな漫画アニメタイトルへの愛があるか、そこが最⼤の関⼼事であるはず だ。
この1点で僕は、漫画アニメミュージカル=2.5次元ミュージカルを作り始めた。
それまでは⽇本でも世界でも、漫画アニメのファンに向けて、ファンの望む題材をファンの望むキャラクター重視の⽅向でミュージカルを作るということは、エスタブリッシュされた舞台の世界では常識ではなかった。
外国では話題の「オペラ座の怪⼈」「マンマミーア」「キンキーブーツ」「ミスサイゴン」「エビータ」でも⽇ 本ではそれを知っている⼈は⼀部に限られる。舞台用に書き下ろされたオリジナルの脚本でも⾝近な題材を扱ってはいるかもしれないが 知られていないと話題が回らない。
TVアニメのミュージカル化であれば、観劇後に学校に⾏き「昨⽇、テニミュ観たよ」と⾔えば、クラスの友⼈が 「越前リョーマ、ってどうだった、ちゃんと⽬⽟⼤きかった、⽣意気なクチきいてた?」と会話が弾む。娯楽の 広がりに必要な、旬の話題が詰まっている。
テーマに普遍性が必要なことは⾔うまでもないが、その語り掛けを 旬の話題で振らないと伝わらない。 「テニミュ」で⾔えばスポーツの持つ勝った負けたのドラマ、勝者の寛容/敗者の美学・ノーサイドの精神が普遍のテーマで、原作漫画が異次元の新しいスポーツ漫画として描いた、選⼿に汗と泥まみれを廃しクールなイケメンを配置したことが旬の切り⼝だった。それらが⽻⽣結弦君や錦織圭君の登場前で時代を先取りし、漫画は時代の前触れの役割を果たした。
この例に限ら ず、時代の旬を感じる⼀番⾝近な共通の話題は、今や⽇本の⻘年層ではそれは漫画アニメの世界の出来事となるだろう。
作り⽅や題材は常識に反したものにするけど、ミュージカルとして成⽴させるほうが多くの⼤衆には⾒やすいは ずだ。ミュージカルの表現形式は、感覚のレセプターが視覚・聴覚・体感が働くので⾳楽とダンスがある分、脳 内への伝達チャンネルが多い、ストレート演劇より有利で黙ってみていれば⾃然に楽しめるようにミュージカル は作られている。だからミュージカルのフォーマットに則って作るほうが良い、と考えた。
そのために、ミュージカル「テニスの王⼦様」(原作:許斐剛)では、ミュージカルの世界ですでに活躍している ⼈たちをスタッフに迎えた。
演出・振り付けの上島雪夫さんは劇団四季のダンサーから振り付けで退団し宝塚と 東宝ミュージカルの振り付け担当というキャリア、作曲の佐橋俊彦さんは東京芸⼤作曲科卒⇒劇団四季でオーケ ストラ譜⾯の作成担当、脚本の三ツ⽮雄⼆さんはアニメ声優であり、⾃⾝でも劇団持ち脚本・演出も⼿がけるブ ロードウェイ観劇オタク、を選任し、主要3スタッフと僕ともう⼀⼈のプロデューサー松⽥誠くんの共通認識として、ちゃんとしたミュージカル作ろう、を共有した。
オペラから始まりオペレッタを通してミュージカルが⽣まれた、その誕⽣からでいえばすでに100年以上の歴史が あり、その間に表現は洗練され、定着し、完成された型式として整っている。
具体的に⾔えば、オーバチュア⇒序曲が奏でられる⇒その序曲に乗って世界観が提⽰され⇒⼈物の登場≒紹介が あって⇒物語が始まる⇒1幕の終わりは希望・不安・恐怖・熱気などの感情の昂りで終わる⇒休憩⇒トランスアク ション(気分転換)軽い話題の別場⾯から2幕が始まる⇒物語が語られ⇒カタルシス⇒⼤団円⇒エピローグ⇒カー テンコール(俳優が登場⼈物から俳優⾃⾝に戻る)という流れだ。⾳楽でいえば、主旋律のリプライズ、主観の詞の主旋律の歌唱、客観の詞による情景描写と場⾯転換、感情表現 のあるダンス、といったような事柄が気を付けるべき型式の実際だと思う。
このフォーマットに則って表現されていれば、ミュージカルを観たことがない⼈も⾒慣れた⼈も、ミュージカル がそもそも持っている⾒やすい演劇という本来の⼒を発揮してくれるはずだ、と思った。
だからミュージカルの持っている型式は守ろうと思った。
結果は、この仮説の通りの筋道かどうかは不明だが、⼤衆娯楽として定着した。
僕は⾃分の好きなアニメ作品のミュージカル化で世界に出て⾏きたかった。
いまやそれは原作の持っている創作の⼒もアニメの制作陣が頑張ったことも相まって「テニスの王⼦様」「美少⼥戦⼠セーラームーン」「⿊執事」「弱⾍ペダル」「⼑剣乱舞」「陰陽師」をはじめいろいろなタイトルで現実になった。
それ以上に⽇本で初めて成⽴した2.5次元ミュージカルが、世界中のココロのピュアな⼈々の娯楽のスタンダード になる、それがもうすぐそこに⾒えている。
⽚岡義朗 プロデューサー
1945年⽣まれ 慶應義塾⼤学法学部法律学科卒(1969)、(株)アサツー・ディ ケイ(現ADKホールディング ス)(1982~2000)、㈱マーベラス取締役(2000~2009)、㈱ドワンゴ執⾏役員 (2010~2013)、(株)コントラ 代表取締役社⻑(2014~) 各社でアニメ&ミュージカルプロデューサーとして作品の企画・製作、アニメ製作委員会の 組成と運⽤、商品化許諾、海外販売、映像パッケージ販売、⾳楽著作権管理、イベント実施 などアニメビジネスとその2次利⽤展開などの業務を実施。
アニメプロデューサーとしては、「タッチ」「ハイスクール!奇⾯組」「蟲師」「ガンスリ ンガーガール」「HUNTER×HUNTER」「クレヨンしんちゃん」「遊戯王デュエルモンス ターズ」「家庭教師ヒットマンREBORN!」「ラムネ40」「CAPETA」「キテレツ⼤百科」 「こちら葛飾区⻲有公園前派出所」「るろうに剣⼼」「BECK」「ジパング」「スクールラ ンブル」「さすがの猿⾶」「餓狼伝説」など約140作品をプロデュース。
2.5次元ミュージカルプロデューサーとしては、「テニスの王⼦様」 「HUNTER×HUNTER」「美少⼥戦⼠セーラームーン」「聖闘⼠星⽮」「少⼥⾰命ウテ ナ」「ギャラクシーエンジェル」「DEAR BOYS」「こち⻲」など約50作品をプロデュー ス。
⽇本で初めてアニメファン向けに「聖闘⼠星⽮」(1999)をSMAP主演でプロデュースし その後も作り続け、2.5次元ミュージカルという分野を創りだした。
現在は、㈱コントラとしてアニメビジネスコンサルティングとアニメ「Under the Dog」(2017)「臨死‼江古⽥ちゃん」(2019)、
ミュージカル「ホリエモンのクリスマスキャロ ル」(2018)「監獄学園」(2018)などをプロデュースしている。