麻生さん「ミス・サイゴン」の初演にオーディションで合格し帝劇の舞台に立ち今のプリンシパルのポジションまで歌の才能と努力でたどり着いた。小野田くん、これはもう生まれついたとしか言いようがない歌のセンスと力量、25歳の若さでクリス役、帝劇センターにピンで立ちあの聴き易い素直な歌で大向こうをうならせるってすごい。
でも「ミス・サイゴン」って日本人(アジア人)が観ると突っ込みどころ満載のアメリカ人偏重の物語に見え、観終わって納得いかない感が残るって話になり、小野田くん、麻生さん必死の抵抗があり、確かに、ロンドンで観るのとニューヨークで観るのと、日本で観て感想が若干違うって議論になった。それで僕も、クライマックスの歌の、キムが死を覚悟して最後に我が子に託す言葉=歌詞の翻訳が違っていると長い間感じていた感覚の答えをこの小野田龍之介くんの舞台を観ていて見つけた、と話題に参入した。
僕は長い間岩谷時子さんのような偉大な作詞家がなぜ英語の
「You will be what you want to be」ってクライマックスでキムが歌う歌詞を「あなたに命をあげる」って訳したのか、この訳詞は間違っている、こんな簡単な中学生レベルの文法のセンテンスを何で違った言葉にしたのだろう、分かっていてこの日本語に置き換えたのは間違いない、なんでだろうって長い間分からなかった。それでも帝劇の中である瞬間にふと気が付いた。1989年にロンドンで観て92年に日本の初演観て以来、25年間の疑問に、やっと岩谷さんの気分に近づけた、と思った。
ごく単純に言うと岩谷さんは「アメリカンドリーム」を信じていなかった、か少なくとも「アメリカンドリーム」なるものに我が子の一生を託す気にはならなかった、だから原詞が持っている、アメリカに行きなさい、そこではあなたはなりたいと思う何にでもなれるから、ここベトナムではなりたかった自分にはあたしはなれなかった、だからあなたはアメリカに行ってなりたい自分の人生切り開くのよ、ってキムの悲痛な叫びの中にあるアメリカ礼賛部分を、岩谷さんは無視することにした、と思ったら腑に落ちた。
そんなこと無理に決まってるじゃない、いくら原詞に書いてあったってあたしにはアメリカの嘘は見えてる、そんな欧米人の虚構には乗らない、だってキムは死を覚悟したのよ、あたしはキムのわが子への悲痛な叫びを、叫びのまま言葉にしたのよ、その気持ちを伝えるワンワードがあるべきなのよ、なんか文句あるって、人生賭けて翻訳したんだと分かった、気分になった。
この気分を出演者のお二人に伝えられてほっとした。
偉大な作詞家、このような世界的の評価の定まったミュージカルでも、この物語おかしい、と感じたら、間違った中にもある真実の部分を見つけ、間違っていると感じた部分を削除し、そこに自分なりの深遠な信念を潜ませた、っていい話だと思いませんか。
こんなこと話し始めたら終わらない終わらない、時間延長で今までで最長の2時間に及び、しかもディレクターが再延長を忘れて、エンディングの野田和佳子さんのあの美しく物悲しい「アメイジンググレイス」が強制カットされてしまった、残念。
テンション上がったままの5人でパチリ。
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