片岡義朗ブログ

再掲ブログ「アニメトピア」1970/10~1986/10

2016/10/31 17:40 投稿

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日本で最初のアニメファン向けラジオ番組

アニメトピア

僕のキャリアの中で、初めてのヒット番組はTVアニメの「タッチ」ではなく、
ラジオ大阪の「アニメトピア」だった。

この番組はアニメと言う言葉を番組のタイトルに付けた日本で初めてのラジオ番組で
人気女性声優の麻上洋子(ヤマトの森雪役)、
吉田理保子(まいっちんぐマチコ役)をパーソナリティに起用した点も、
大御所声優さんの落ち着いたトーク番組はあったが
若い人気女性声優二人のアニメファン向けのおしゃべりバラエティ番組は無く、
当時としては画期的な企画だった。
企画が出来上がったゆえんは簡単で、「ヤマト」ファンだった僕が、東急エージェンシーがプロデュースした「アイゼンボーグ」の担当者だった縁で、出演者だった麻上さんがラジオ番組をやりたがっていたのを聞いて彼女主導のラジオ番組企画書を書いたのだった。

僕の手元には今でもトレーシングペーパーに鉛筆手書きの企画書が残っている。
生まれて初めて自分で書いた番組企画書だ。
これをショウワノートに持ち込んでOKを頂き提供費を頂戴し放送にこぎつけた。

人気声優がパーソナリティのラジオ番組は当時もあったが、
大きな番組のコーナーだったり
アニメを題材にしたトークよりも大人の会話を楽しむと言う番組が主流で、
アニメ製作関係者が頻繁にゲスト出演すると言うような
アニメファン向きの番組は「アニメトピア」が日本で初めてだった。

「アニメトピア」は1979年10月からラジオ大阪で放送を開始し、
その後文化放送、東海ラジオにもネットされ、
聴取率調査でもラジオ大阪で最高を取り、
主題歌などのレコード化、
単行本の出版、
公開録音イベントの定期的開催、
有料会員制ファンクラブの運営、
月刊アニメ雑誌「ジ・アニメ」での定期連載などいろいろなメディアミックスが展開された。
関西の弱小ラジオ単営局だったラジオ大阪発の3地区ネット番組も珍しかったし、
その番組を核に事業が広がったこともそれまでの常識では考えられなかった。
今でも時々初めて名刺交換すると、えーっ、あのハゲラ片岡さんですか、
僕トピア聞いてました、というアニメ業界関係者に会うことがある。
この番組が一世を風靡したのは間違いない。

番組が始まった時に僕が務めていたのは東急エージェンシー関西支社だったが、
1982年に誘われて旭通信社に移籍しTVアニメ企画部に勤務することになった。
東急エージェンシーのラジオ局担当者が「持っていきなよ、これは片岡の番組だよ」と言ってくれ、旭通信社(現ADK)のラジオ局担当者も「面倒見ようじゃないの、面白そうな番組だし」って
2社の局担当者がそろって優しい言葉をかけてくれて
これも当時としては前代未聞の番組扱い広告代理店の移動となった。
つまり提供費を受け取る側の一人の番組担当者が会社を移籍することによって
その番組もスポンサーの扱い広告代理店も=提供費も
一緒に競争相手に移動するってことでこんなこと普通は無い。

「アニメトピア」はショウワノートが単独提供スポンサーで始まり
その後近代映画社(「ジ・アニメ」出版元)、
ビクター音楽産業、あいどるなどが共同提供社になった。

旭通信社(現ADK)ではTVアニメとの連動が出来た。
2代目パーソナリティの田中真弓、島津冴子、三ツ矢雄二を
僕がプロデュースしたTVアニメ「さすがの猿飛」の主要キャラクターに起用して、
TVアニメのサイド情報をラジオ番組で放送した。
「さすがの猿飛」の番組宣伝用第1話の試写会を
当時の「渋谷パンテオン」と言う映画館で行った際には、
告知をCXだけでなく「アニメトピア」の番組内でも行うなど、
TVアニメをラジオで補完する発想は、
アニメファンにはTV電波の力と同様の影響力をラジオ番組が持っている認識だったが、
その当時はまったく誰も考えていなかった手法だったし、着想だった。

「アニメトピア」と同じ発想で別の企画を立てバンダイに持ち込み提供していただいた。
「アニメNOW」はバンダイの1社提供だったので主にガンダムの情報を取り扱い、
その意味でアムロ役の古谷徹さんにメインのパーソナリティをお願いし、
スポンサー担当者に当時バンダイの新入社員だった
宮河恭夫(現サンライズ社長)さん、
鵜之澤伸(現アニメコンソーシアムジャパン社長)さんがついて、
このお二人とQRのスタッフで隔週に侃々諤々の議論して作った番組だった。
こちらも文化放送製作でラジオ大阪にネットした。

さらにもう1番組「VAPOUT」と言う「月刊OUT』が提供する
三ツ矢雄二がパーソナリティの番組を
ラジオ関東(RF)でスタートさせた。

あっという間にアニメファン向けの番組を3本も作り、
アニメや声優ファンとラジオ番組との相性がよいことが立証され、
その後は雨後の筍のようにレコード会社やビデオ会社の声優さん出演のアニメラジオ番組が輩出し、ラジオ番組のジャンルとして定着し、アニメラジオ番組の隆盛につながっていく。

「アニメトピア」は、
1985年頃には、
番組製作にも熱心だったあいどるの小野寺社長がプロデュースしたOVA「メガゾーン23」が
ビクター音産との共同プロジェクトだった関係で主な提供費をこの2社が出すことになり、
このOVAの宣伝目的に「アニメトピア」をあいどるとビクター音産が運営していくことになり
広告代理店も読広に移動し、僕の手を離れ、
その後わずか1年半ほどで1986年10月に役割を果たし終了した。

その後、僕がお付き合いのあったマーベラスにお願いし「アニメトピアR」として1998年に復活させ、途中で僕もマーベラスに移籍し2年間続けた。

「アニメトピア」が放送開始から30年周年を迎えたので、
改定を加えつつではあるけど、
この番組のことをきちんと記述しておこうと思う。

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