2016/08/15
3:36 am
「真夏の夜の夢」塩澤英真・章平くん、ほかに山内英輔・山本一慶くん出演を観た。
塩澤くんからとっても久しぶりに案内が来て観に来ませんか、
と言われ亀戸カメリアホールというあまり行きつけない劇場まで出かけた。
誘われたからもあるけど、
このシェークスピア劇を全員男役者で演ずるという企画に興味があったし、
それは成功して欲しいジャンルだと思ったからだった。
芝居のことは後にして、プリンシパルの俳優たちはみなさん熱演で、
山本くんの女役はとてもきれいで色っぽかったし、
山内くんの男主役も切れ味の鋭いセリフ回しで好感が持てた。
塩澤くん、ルドルフ公演以来会ってなかった。
あのときには、生意気盛りの塩澤くん、
向こうっ気ばかりが目について才能の一端しか見えていなかった、ごめん。
12年経って、その間ずーっと才能磨いていたんだね。
出てくるだけで存在感十分、やや中年入った女王役、表情の出し方がすごい。
顔の部分部分がそれぞれ別の生き物のように独立して動かせるなんて、
唇の端っこで笑って目つきだけ鋭くにらみつける、
目じりは少し緩めてる、複雑に顔の筋肉を動かせるんだ。
しかも表情と体の線が連動し、素足のつよみ生かして足先でも芝居する、
身体がくねっているかと思えば、
首から上はシャキッと伸びている。いい表現観せてもらった。
章平くん、
カラダの存在感十分に生かそうとしていてそれはわかって正解だと思うのだけど、
まだ足りていないかな。
身体がとても逞しく筋肉が背中にもついていて、
身体の線がその筋肉の分だけ丸く見えてしまう、
それでちょっと油断してカラダ弛緩させると少し猫背に見える、
せっかく誰も持っていない位に体格の大きさあるのだから
もっともっと自分の強み出して堂々とした芝居やったほうが良いよ、って言って来た。
いつもそうなんだけど、
俳優にはその芝居が面白くなるかどうかの責任は一義的にはない、
というのが僕の主張だ。
それはプロデューサーだし、脚本家や演出家の仕事だろう。
それでも役者に熱があれば舞台は観る価値が生ずる。
この芝居がいい例で、
なんで演出家はドラマが終わっているのに芝居を延々と続けたのだろうか、
この人はこの芝居で何を言いたかったか自分でもわかっていなかったんだろうと思う。
作ろうとしたドラマが自覚出来ていて、それを達成していれば、
そのドラマが終わった瞬間にお芝居を終えてよいはずだ。
どんなに乱暴にずばっと幕を下ろしても観客は納得する。
何がドラマが分かって作っていないから、
ドラマをどこで終わっていいか分からずに
延々となんだかわからないような熱のないコロス役の人々の物語とは関係ないコントだか、
下手なラップの歌を続けるなんて、
この人まるで演出家のやるべきこと分かっていない。
30分速く幕を下ろしていれば、すこしは芝居をほめられたのかもしれないのに。
プロデューサーもひどい。
物語の登場人物とは無関係な多数の男性が上半身ハダカで出てくる、
しかも皆さん到底肉体美とは縁遠いダンスもままならない俳優さんたちだった。
しかもそのコロスがなんの役割をしているのか分からなかった。
ただただ登場人物の周りにいてなよなよとうろつくだけ、意味ないでしょう。
裸の男が舞台上にいていいのは、その肉体が美しい時だけだ。
ぶよぶよの三段腹見せられて興奮する女性がいるとも思えない、
男性は嫌悪感だけだ。
でもこの俳優さんたちには責任はない、この人たちを舞台に載せようとした誰かさんの責任だ。
舞台美術はセンターになんか箱もの状の装置が置いてあったけど
それが何を表しているか不明。
照明もそこが、どこでいつか、状況の心理描写を表すとか、は全く表現されていなかった。
いいたいことがまだ一杯あるのだけど、
まあ塩澤くんに久しぶりに会えたし、
役者たちの素敵な芝居は観れたのでこれ以上言うのはやめておきます。
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