2014/12/25
4:10 am
日本動画協会主催のアニメビジネスセミナーでこの17日に講演をした。
会場が慶應義塾大学の三田校舎内のある教室だった。
何と1969年に卒業以来、僕は初めて三田の校舎に足を踏み入れた、懐かしい。
東門から入ってすぐの校舎だった。この建物は僕の時代にはなかった。
なのでもっと奥まで入り昔の校舎の今のありさまを観てみたいと思ったけど、
なにかしら奥まで入っていく元気がなかった。
懐かしさと言う感情をできるだけ排除した人生を送りたいという感覚でやってきたせいもある。
人生は前さえ向いていればいい、と言う生意気盛りの感覚を捨てきれないでいるのだろう。
でも、それだけでもなさそうだ。
僕は学生時代あまりこのキャンパスになじまなかった。
何せ時代は疾風怒濤の1960年代後半、
ぼくも御多分に漏れず遊んでいたし、夜は銀座のクラブでボーイのバイトしてたし、
風林火山と言うイベント企画クラブでロックコンサートやダンスパーティやったり、
三田ではきちんと勉強に通った記憶がない。
学びの府に失礼と遠慮しておくのがエチケットだと感じた。
そんないい加減学生が45年も経って教壇に立つなんて、思ってもいなかった。
呼んでくれた日本動画協会に感謝です。
日本のアニメがなぜこんなにも世界で受けたのだろうか、と言う設問をして、
その答えを僕なりの仮説で述べただけだけど、
たくさんの聴衆の方々が熱心に聞いてくれた。
アニメーション≒「物神崇拝=アニミズム」「八百万の神」「針供養」が示すように、
一般社会に、ものに心が宿りその心に語り掛けるという精神構造が広く生きていることがある。
その上に、「鳥獣戯画」「浮世絵」「黄表紙(草双紙)」
「歌川国芳」「河鍋暁斎」「山口晃」と続く、
日本の、平面を区切り、その区切った線の中に絵具を単色で塗る、
と言う伝統の大衆絵画の技法の延長線上に漫画アニメの土台がある。
水性絵具しか持たなかった日本では重ね塗りがうまくいかず立体物をリアルには表現しづらかった、
透視図法も長く会得できなかった、
それゆえ日本人の大衆の楽しみとしての絵的な表現は、
欧米社会のデッサン重視のリアリティ表現主体の芸術的絵画とは異なる発展をして、
言い換えれば、デッサンの勉強をしなくても鉛筆でひょいと紙にただ線を描くだけで、
面白い、うまいとほめてくれ、勉強などしなくても鉛筆ひとつで生きてける社会が出来上がった。
入口の簡単さが底辺の広さに繋がり、今の日本の漫画アニメ社会を形成している。
勿論表現の自由が保障され、
規制が少なくイマジネーションを拡げることに障害が少ないという社会があり、
平和でナイフもGUNも基本的には存在しない、と言う健康な社会もあって、
人をボコボコにしてもモンスターをやっつけても
受けての大勢の人が
ただの娯楽と割り切れることがあっての漫画とアニメであることは自明の理だ。
というようなことは全くの個人的仮説で別に検証実験をやったわけでもないので、
異なる意見の人も目くじら立てないでほしいけど。
講演当日は時間があまりに少なくて言いたいことの1/10ぐらいしか話せずに終わってしまい、
有料セミナーの講師としては失格で申し訳ない気持ちで、
次回があればもう少し先まで話をして名誉回復図りたい。
世界に行くと仕事でも旅行でも、どこに行っても、
だれとでもコミュニケーションが取れるのは、とてもありがたい。
アニメの話をすれば乗ってきてくれる人が必ずいるからだ。
こんな世界、もっとこのまま続いてほしい、続けましょう。