2010/11/21
10:04 pm
昨日、下北沢シアター711で「熱風evolution」を観て来た。
八神蓮くん、渡部紘士くん、辻本祐樹くん、高崎翔太くんと4人のミュキャスが出ている舞台だ。
忙しくなり久しぶりに観た芝居は寒かった、観ていて悲しくなった。
どうしてこんな薄っぺらでドラマのない脚本が書けるのだろう。
でも芝居は寂しいのに、4人のミュキャスは一生懸命演じていて、
無駄な努力には見えるけど、熱いやり取りはあった。
そこが熱いだけ、全体がよけい空虚に見え、古い劇団員の寒い芝居と
ゲスト出演者の熱い芝居の見事な対比が出来上がっていた。
そんなこと事前に分かるだろうに、
この芝居を作った人たちはなんでミュキャスの4人を呼ぼうとしたのだろう。
何か良い芝居になると確信があって彼らを呼んだのだろうか。
八神くん演ずる主人公は、ダンスチームのリーダーだが、実はリーダーシップのかけらもない、
友人の渡部くんに頼り切ってチームをまとめている。
このチームが街の商店会主催のイベントの出場権を賭け、
おじさんとおばさん二人のフォークソングチームと対戦するという、
すでにこの設定から、古臭くどうにもならない空気を感じる。
でも問題は設定よりも、脚本そのもののストーリー展開にある。
お芝居の中で主人公は特に成長するわけでなく、
ただフォークソングチームと一緒にイベントに出場することを決意する、と言うたわいなさ満点のストーリーだ。
出発点の、八神くん演ずる主人公はダンスチームのリーダーになったのだから、
ダンスがとても上手だとか、負けず嫌いでぶんなぐってでも他人を従わせる迫力だとか、
何かリーダーになったゆえんがあるはずなのだけど、そんなエピソードは入らないまま、
物語はリーダーにリーダーシップがないところを強調して進行する。
そんなちょっと他人に本名を呼ばれるだけで、胃が痛くなる気弱な人間が、
どのように元の勝気な自分を取り戻すか、が描かれていればドラマになっただろうけれど。
苦悩も浅く、努力もない。終幕に自身の気の弱さを克服したエピソードもない。
ただ簡単に友人たちに支えられていることが分かり、
一緒にコラボチームを作ろうと言いだしてハッピーエンドになる。
主人公の人間性を掘り下げることなど眼中にないらしい。
もしこれをドラマと言うならあまりに薄い。
八神くんはこの芝居で、この役柄の人間はどんな人間か、
どんな風に役柄の人間を演じたらよいのかたぶん理解不能だったはずだ。
そんなことはお構いなしの筈だ。
なにせ、この劇団主宰のおじさんとおばさんは歌が得意らしく、歌を披露したかっただけなのだろう。
でもその歌も別にプロの歌でもなく特に感動は無い。
歌はうまいか下手ではなく、在る年齢を超えてから人前で歌う歌は、
その歌を歌わなければならない必然があって初めて成立する。
この人たちの歌には他人に己の歌はうまいということを聞かせたいだけで、
歌の中身に対する熱が感じられない。
しかも物語の中でなぜこの歌がうたわれなければならないか、よく分からない。
歌だけでなく、この二人の年配役者は、本編ストーリーにあまり関係のないコント風のギャグを連発する。
長年一緒に演じて来た男役者と女役者だけが演ずることのできる丁々発止の調子のよい芝居だ。
でもそんな慣れ合い芝居、勘弁してほしい、そんなものを僕は見たくない。
こんな薄っぺらい人間ドラマにつき合わされた4人を励まそうと思い、
終演後、観客の退出した客席で4人と会った。
八神くんとは2年ぶりだった、頬が少しへこみ、若干鋭さの出た陰影の深いきれいな顔になっていた。
以前よりも声もよく出ていたし、立ち居振る舞いも能動的になっていて役者になってきたなと思った。
渡部くんはコントを始めたと言っていたことの良い影響だろうか、
身振り手振りに工夫が見え顔まで変化したように見えた。
この路線を行けばやがて純朴なオモシロイコントができるかな、とやや安心した。
翔太くんは肉体美を誇っていた。
テニミュ之初期のころは、ちょっと太めでこのままでは役者に見えないと思い、思いっきり、痩せたほうがよいよ、
と言ったら、頑張って見事な肉体が出来上がった。
スリムで均整のとれた筋肉がつき、頬もこけ、かわいいのに精悍な顔になった。
今でも会えば、片岡さんにやせろと言われて筋トレしました、と言って僕を喜ばせてくれる。
辻本くんは他にお客さんが来ていてやあ、という一言しか話しができなかった。
でも彼の印象は初めて会った時そのままだった。
舞台に居る4人は若いカラダをしていた。
どこにもダブついたところのないすっきりした体型の4人だった。
そのカラダの美しさのなせる技なのか、
4人が出ている場面では、そこに若さの持つ生命の躍動があり観ていて気持ちがよかった。
たぶん4人の場面は彼ら同士で、何度も稽古したのだろう。
芝居そのものもかなり出来上がっていて、観る人を引き付ける力があった。
台詞の足りないところ、演出で分からないところ等4人と演出家で話し合い、
作り上げる努力をしたのだろうと思う。
その意味ではどんな芝居でも役者本人にイノベーションの意欲があれば、
出演して意味のある、やって良かった仕事になる。
こうしたどうしようもない脚本に出会ったとき、
どうしたら、その脚本を少しでも納得のできるものに仕上げるか、
これからもいくらでもこういう場面に出くわすと思う。
一つの仕事を頑張れば自分に返ってくるものがある、あたりまえなことだけど。
最後に一言、この芝居作った人たちにも、もちろん善意はある。
芝居をやりたいと言う気持ちは伝わってくる。
でもその善意に他人を付き合わせないでほしい。
無理を通すと、善意が悪魔になる、それを僕は善魔と呼んでいる。
この芝居、まさに善魔の仕業だった。