2010/07/22
9:54 am
二日続けて芝居を観た。
一昨日は、花園神社境内のテント劇場、劇団椿組「天保十二年のシェイクスピア」
昨日はルテアトル銀座の「金色のコルダ」、
天と地の差があった。
同じ芝居でこうも違うものができるのかという見本みたいな二日だった。
椿組は外波山文明さんの劇団、花園神社は25年も続けている野外劇で、
今年は井上ひさしさんの戯曲をちょっと今風にアレンジした芝居だった。
随所によく見聞きするシェイクスピア劇のネタが入り、
それを最後にむなしい結末に持って行くのだけど、
素晴らしいの一言。
猛暑の中の空調のないテント小屋に何百人も人が入って暑い、
むしむしする中での3時間、まったく時間を感じさせない。
役者もスタッフも観客もテントの中で一つになっていた。
オオラス近く舞台奥のテントが外され、外の明治通りが見える、
外気の夜風がやや心地よさげに吹き込んでくる、
さらに屋台崩しで大道具がガラガラと壊れていく、
道行く人が何事と覗いても中の観客は全く気にならない、みな集中して芝居を観ている、
もちろん役者はクライマックスの群衆の興奮を熱狂的に演じている。
一体感に包まれ、劇場の壁が無くなっても劇場空間は成立しているという稀有の芝居だった。
それに引き換え、「コルダ」は相変わらずひどかった。
再演だけに、初演で僕が指摘した場面はかなり手直しされてはいた。
でもそれにしても、演出家に才能がないと
芝居はこうもつまらないものになるのかと言う見本みたいな芝居だった。
うつろな劇場空間、空間を埋められない演出家。
美術セットの大道具がたくさんの見キレ席をつくってしまっているのが分からない演出家。
とぎれとぎれの小芝居の連続、時間をコントロールできない演出家。
心理がつながらないただの段取り芝居が続く、人間を描けない演出家。
客席も閑散としていて、そうだろうな、と納得した。
一つだけ良いところを見つけた、それは作曲家の才能だろう。
発注がどのようなものであれ、メロディーメーカーとしての作曲家のセンスは発揮されていた、
作詞が客観の詞が多くただのポップスになってしまっていて、
ぎりぎりの人間の心情の歌ではないのだけど、
そういうマイナスを補ってメロディのきれいさと編曲の華麗さは残る。
いろいろな芝居があり、いろいろな人々がそれを作っている。
外波山さんのように、命がけで作っている人の芝居には魂が入っている。
願わくば、僕の作るものもその範疇に入っているといい。