片岡義朗ブログ

再掲「井上ひさしさん・つかこうへいさん」2010/07/13

2016/10/17 11:39 投稿

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2010/07/13

1:10 am

つかこうへいさんが亡くなった。
井上ひさしさんも少し前に亡くなった。
僕の好きな芝居を作っていた人が続けて二人逝ってしまった。
ものすごくやるせない。
観たい芝居が無くなってしまう。

かなり昔から芝居を観てきて、結局行き着いたのはこのお二人の芝居だった。
自由劇場にこった時期があった。
遊眠社にも、青い鳥、東京キッド、SET、月蝕歌劇団、第三舞台、鳥獣戯画、
遊◎機械/全自動シアター、花組芝居、青年団、加藤健一さんにも、それぞれはまった。
文学座、俳優座、新劇系の芝居もたくさん観た。
東宝・劇団四季のミュージカルにはまった時期もあった。
ニューヨークにもよく出かけ、
エジンバラフェスでは3週間芝居漬けを味わった。
ロンドンにもとある先生に個人教授をお願いし、まとめて勉強しに行った。
自分なりに世界のものも含めいろいろな芝居を観て来たつもりだ。
その結果、つかさんと井上さんのものが完ぺきで最高で、
このお二人の世界を目指すのが僕の芝居作りの基本だ、
と思うようになった。

もちろん「テニミュ」を初めとする僕と松田くんの始めた「2.5」が
お二人の芝居に肉薄していると言うつもりはない。
でも「2.5」は「2.5」で、お二人の芝居のそれに匹敵するきちんとした存在理由がある。
漫画やアニメなどが映し出している今の社会の精神を、
そのままストレートに反射させているという意味での社会との関係性がある。
この部分で言えば、つかさん、井上さんの芝居がとても色濃く持つ社会との関係と、
構造だけで言えば同じことになる。
ただ歴史に対する認識は、もちろん「テニミュ」にはお二人が持っていたような持ち方では在りようがない。
でも、僕は自分が作る芝居は、お二人のように書き下ろしの戯曲ではないけど、
社会との関係をきちんと自分の中で確立して持っている、という点で基本は同じだと思っている。
もうひとつ、狭く言えば観客と演者双方のお芝居初心者への入門編という役割がある。
多くの観客は「テニミュ」が生まれて初めて観た芝居だし、
多くの演者は「テニミュ」が生まれて初めて立った舞台だ。
この部分で言えば、この入口から入った人たちがいつか僕と同じように
つかさんと井上さんの芝居に行き着けてくれたら、
僕がこの世に中に果たす役割があったということになるだろう、と思っている。

今年の2月、新橋演舞場に「飛龍伝」を観に行ったとき、
ああ、やっぱりつかさんの芝居は、ご本人のエネルギーがすべてだったんだな、
病気で稽古場につかさんが居れなかったことがそのまま舞台に出ていた。
とその時点でがっくり来ていた(馬場くん、ごめん、キミの演技のことではなく、芝居そのもののことなんだ)。
今までの「飛龍伝」に比べ、舞台上に緊張感がなくだるい雰囲気が流れていて、
とてもつかさんの芝居とは見えなかった。
これから、だれがつかさんの戯曲をきちんと作ってくれるのだろう、
彼の芝居に限ってはそれは絶望的に思える。
井上さんの芝居は今までも鵜山仁さんや何人もの演出家が演出したことがある。
それはきちんとできていた。
こちらは今まですでに存在していた戯曲については問題ないだろう。
問題は、このお二人が亡くなられたことで新たな戯曲が生まれない、
その時代に即して歴史を振り返る、
問題意識の現代版への更新が無くなることだ、そこが残念だ。

つかさんとは一度だけ一緒に六本木の俳優座の近くで食事をしたことがある。
ちばてつや先生、つかこうへいさん、熊谷真美さんの4人だった。
つかさんのお芝居を今ほどよくわかっていなかったときで、
思い返すともっともっといろいろな事を聞いておけばよかった、と悔しい。

つかこうへいさん、井上ひさしさんあなた方の作ったお芝居、必ず受け継がれていきます。
僕もほんの少しかもしれないけど、一端をしょわせていただきたいと思っています。
ありがとうございました、安らかに。

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