もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなってよいのだろうか。死刑制度は被害者遺族のためにあるとするならば、そういうことになる。だって重罰を望む遺族がいないのだから。ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより尊いということになる。生涯を孤独に過ごして家族を持たなかった人の命は、血縁や友人が多くいる艶福家や社交家の命より軽く扱われてよいということになる。親に捨てられて身寄りがない子どもの命は、普通の子どもよりも価値がないということになる。
次に「被害者遺族の身になれw」と書いた人に訊きたい。ならばあなたは、本当に被害者遺族の思いを想像できているのかと。自分の愛する人が消えた世界について、確かに想像はできる。でもその想像が、被害者遺族の今の思いを本当にリアルに再現しているとは僕には思えない。あなたはその思いを自分は本当に共有していると、胸を張れるのだろうか。ならばそれこそ不遜だと思う。
つまり、森は実在しない被害者家族の言葉をかってに「代弁」する人々を問題視しているのだ。ここで森に罵言を投げつけるような人々はネットの至るところに見つけることができる。
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海燕
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コメント
死刑や復讐についての是非は、それこそ有史以来
必殺シリーズでも地獄少女でも語られてきた問題。
森さんの問いもニコのコメントもとっくに通過して、現状の体制がある。
ただ、サイコキラーとしか言いようのない連中まで
法律や道徳で扱えるのかというと、これは違った問題になるでしょうね。
よーするに、死刑囚も被害者もそれ以外も、ひとくくりにはできないってこと。
誰だって自分がその立場ならどう考えるかってので答えを出す
死刑を主張するのは、仮に自分の親族が殺されたら死刑を望むって事でもあり
仮に自分が他人を殺したのなら死刑になるのは当然だと思う事でもある
事情によっての情状酌量などはあるけど
物取り、強姦、無差別などが原因なら、酌量はされないだろう
まあ、そりゃ人には野次馬根性みたいなのもあるけど、それは古今東西当たり前にあることで
かえって健全な証拠だよ
そういうのがあってもそれ以上に、個々の常識や納得いく範囲での答えを出していく訳だし
このライターは死刑廃止を唱えているわけでも、死刑賛成論者そのものを否定しているわけでなく、
「被害者の心を考えて」とか「遺族のため」という大義名分というか便利な印籠を使って死刑を楽しむ輩と
自分たちに都合よく動いてくれない遺族への感情的な攻撃に疑問を感じているんじゃない?
「犯罪抑止力の為死刑もやむを得ぬ」とか「この犯人が○○という理由で死刑になるべきだと『自分』は考える」
とか自分の考え・哲学の結果ゆえの発言なら別に卑怯ではないけど、「遺族の存在」という盾を使い猛弁をふるう人や
事件に直接被害のない大衆が、ネットという安全な場所から犯罪加害者・被害者やその家族をストレス発散の為に叩く
のが狡猾だと著しているんじゃないかな。
(ID:12162078)
遺族のためとか遺族の気持ちとかも大事かもしれないけどさ
死刑の一番の目的は重大犯罪に対する抑止効果じゃないかと思う
だからこそ遺族が死刑を望まなくても執行しなくてはいけない