村山談話・河野談話に未来はあるか?
第61回 民間よりも官僚の方が優秀だった!?
吉見義明が『従軍慰安婦資料集』を出版したのが
1992年(平成4)11月。
内閣官房が慰安婦問題に関する「第2次調査報告書」を
提出したのが1993年(平成5)8月だから、この頃、
ほぼ同時期に官民双方で全力を挙げて慰安婦の資料を
あさりまくるという珍現象が起きていたことになる。
そしてあらゆる資料を探し回った挙句、官民双方ともに
「強制連行」を裏付ける資料はないという結論に
達するしかなかったわけだ。
強制連行はなかった。
しかしそれでも吉見義明は日本政府に謝罪をさせたかった。
強制連行はなかった。
しかしそれでも日本政府は韓国との密約により、
謝罪することになっていた。
そこで官民双方で、強制連行がなくても
謝罪をしなければならない理屈を必死でひねり出すという、
とても正気の沙汰とは思えない努力を繰り広げたのだった。
そして吉見義明は「狭義の強制連行」
「広義の強制連行」という珍妙な造語をひねり出し、
たとえ「人狩り」のような「狭義の強制連行」がなくても、
騙されて連れて来られた場合は
「広義の強制連行」だという理屈を発明した。
要するに「広い意味での人狩り」だと言っているわけで、
そんなヘンテコなものがあるわけがないのだが、
仮にそれを認めたとしても、それで日本国の
責任追及をするには、まだ無理があった。
「いい仕事がある」などと騙して女性たちを連れて来たのは
あくまでも悪質な業者なのであって、日本軍はむしろ
そのようなことが極力起こらないよう、
業者を監視していたのだ。
それは、資料を集めれば集めるほど明らかに
なってくることだった。
その点、官僚はより巧妙(?)だった。
第35回で書いたように、「強制連行」という単語そのものを
外してしまい、「強制性」という概念をでっち上げたのだ。
「連行」の事実は、あろうとなかろうと関係ない。
ただ、本人が嫌だと思うことをやらされたなら、
それは「強制」だということにしてしまったのである。
これを考えたのは外務省アジア局長出身の
外政審議室長、谷野作太郎という人物らしい。
官は民よりも「優秀」だったと言うべきか…?
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