村山談話・河野談話に未来はあるか?
第46回 スマラン慰安所「白馬事件」(その2)
インドネシア・スマランの慰安所におけるオランダ人女性への
強制売春事件は、後に「白馬(しろうま)事件」と呼ばれた。
白人を馬のように使った事件という意味で、刑務所内で
言われるようになったという。
白馬事件を裁いたオランダ軍事法廷のBC級戦犯裁判で
ただ一人死刑となった岡田慶治少佐は、慰安婦は希望者だけだったと
無罪を主張していた。
国内外49カ所で行なわれたBC級戦犯裁判は、審理は杜撰そのもの、
まともな弁護人もつかないことも多かった暗黒裁判で、
その実態は裁判の名を借りた敗戦国への集団リンチに等しかった。
特にオランダ軍事法廷は酷かった。
350年もインドネシアを植民統治していたオランダの軍は
緒戦で日本軍にたった9日間で敗れた。
これはオランダ軍にとって、とてつもない屈辱だった。
白人が黄色人種に敗れたのである!
オランダ軍はその後4年間捕虜生活を強いられ、
自力で逆襲もできないまま連合国の勝利で勝ち組に滑り込んだ。
有色人種の支配下に置かれた屈辱、自力で勝てなかった
鬱憤が溜まっていた。
そして、日本の敗戦後、再びインドネシアを支配できると
思ったら、すでに日本軍がインドネシアの民族意識を育て、
インドネシアの国民軍まで作っていた。
オランダはインドネシア人に独立戦争を起こされ、
思わぬ苦戦を強いられていた。
そんな状況の真っただ中で、オランダ軍は日本への復讐心を
BC級戦犯裁判にぶつけたのだ。
かくして、日本軍とは9日間しか戦っておらず、戦勝国の中でも
最も被害が少なかったはずのオランダが最も残酷な報復を行ない、
死刑となった日本軍将兵は戦勝国中最も多い236人に上った。
そのような事情から、スマラン慰安所の事件に関する裁判も、
公正な審理が尽くされたとは到底言えない。
慰安婦集めに重要な役割を果たしたオランダ人の
スマラン州長官や役人は逮捕もされず、証言もしていない。
有罪判決の決め手となったのは女性たちの証言のみで、
その点では朝鮮人慰安婦をめぐるケースとほとんど大差ない
と言っていい。
スマランの慰安所は日本軍司令部の命令で閉鎖されているので、
違法な慰安婦募集があったことはまず間違いないが、
だからといってオランダ軍事法廷の判決書も
信頼できる資料とは言い難い。
特に死刑となった岡田少佐については、情状の余地が十分
あると思われる。
(つづく)
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