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見えざる手が指し示す「幸福論」
――データマイニングが導く普遍的価値とは?
『データの見えざる手』著者・矢野和男インタビュー
――データマイニングが導く普遍的価値とは?
『データの見えざる手』著者・矢野和男インタビュー
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.10.29 vol.440
今朝のメルマガは『データの見えざる手』の著者・矢野和男さんのインタビューです。ウェアラブルセンサによって収集した人間の挙動に関する膨大なデータを元に、すべての人間にとっての〈幸福〉を数理的に定式化するという、独創的な研究がもたらした知見についてお話を伺います。
▼プロフィール
矢野和男(やの・かずお)
1984年早稲田大学物理修士卒。日立製作所入社。
1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功。
2004年から先行してウエアラブル技術とビッグデータ収集・活用で世界を牽引。
論文被引用件数は2500件。特許出願350件。
博士(工学)。IEEE Fellow。電子情報通信学会、応用物理学会、日本物理学会、人工知能学会会員。IEEE Spectrumアドバイザリボードメンバ。日立返仁会 総務理事。東京工業大学大学院連携教授。文科省情報科学技術委員。
1994年ISSCC 最優秀論文賞、2007年BME Erice Prize、2012年Social Informatics国際学会最優秀論文など国際的な賞を多数受賞。
「ハーバードビジネスレビュー」誌に、「Business Microscope(日本語名:ビジネス顕微鏡)」が「歴史に残るウエアラブルデバイス」として紹介されるなど、世界的注目を集める。
のべ100万日を超えるデータを使った企業業績向上の研究と心理学や人工知能からナノテクまでの専門性の広さと深さで知られる。
2014月に上梓した著書『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会』が、BookVinegar社の2014年ビジネス書ベスト10に選ばれる。
◎構成:稲葉ほたて
1.追いつめられて始まった研究
――矢野さんのご経歴を拝見させていただくと、1993年に「単一電子メモリの室温動作に、世界で初めて成功」なんて書かれていました。元々は物理屋さんなんですよね?
矢野:ええ、元々は物性物理の理論をやっていて、1984年に日立に入社してからは半導体の仕事をしていました。
ただ、日立での仕事内容は転々としていて、半導体をやっていた頃でさえも分野は変わっていたし、メモリやプロセッサを手がけたり、設計データを扱うCADのソフトウェアを外販するベンチャー的な仕事をやったり、と色々とやってきました。
――『データの見えざる手』は、エンジニアとしての複数のレイヤーにまたがる視野に加えて、文系の素養が必要になる本なので、どういう経験を積まれてきた方なのだろうと思ったのですが、かなり手広くやってきたのですね。
矢野:ところが、私が社内で仕事をしている部屋は、入社した年から32年目の今日まで、ずっとこの取材を受けている3階なんです。おかしな話ですよね(笑)。その間にもぐるぐると同僚たちは移り変わっているのに、私はずっとここに一人。もちろん、社内的にも大変な記録です(笑)。
ただ、その中でも一つだけ大きな転換点はありました。それは――2003年に日立が半導体事業を他社に譲渡したことです。ルネサステクノロジという会社ができて、その新会社へと私の同僚たちは多数異動していきました。でも、日立に残る側に私は入ることになりました。とはいえ、私が20年住み慣れた「半導体」という土地はもう社内にはない。何か全く新しい仕事をひねり出さなければいけなくなり、そこで目をつけたのがウェアラブルだったんです。
今でこそ注目されていますが、『データの見えざる手』に書かれたことは、そういう始まりなんです。まあ、そうやって追い詰められた人たちがなりふり構わず考えて新天地を目指すと、意外と正しい結論に行き着くという一つの事例なのかもしれません(笑)。
――とはいえ、2003年の時点でウェアラブルは相当にぶっ飛んでいた気もしますし……それ以前に半導体の仕事との連続性が、あまり無いような(笑)。
矢野:ええ。ただ、当時は本当に、残った連中で色々と議論したんですよ(笑)。
みんな退路を断たれた挙句に、あれやこれやと考えた挙句に、「これからはデータの時代が来るはずだ!」という結論になって、とにかく突き進んでいったんです。当時はIBMが「eビジネス」を打ち出していたので、こっちは「データで“dビジネス”だ!」なんて言ってね(笑)。
ただ、こういう研究に関しては私の積年の興味もあったんです。
――それは、ビッグデータへの興味ですか?
矢野:いや、もっと広い話で、社会や人間を科学的に扱ってみたいという想いです。
私が大学生の頃に、ドイツのヘルマン・ハーケンという人が『SYNERGETICS An Introduction ― 協同現象の数理 物理、生物、化学的系における自律形成』という野心的な本を書いて、話題になったことがあるんです。
これは自然界から社会まで森羅万象を、数理モデルで表現しようとした本で、後の複雑系の議論なんかにも繋がる議論の先駆でした。率直に言ってあまりに早すぎた本で、この話題を扱うに足る道具もデータもなければ、何よりもコンピューティングパワーもなかった。まあ、今から見るとダメダメです。
でもね、発想は実に素晴らしいんですよ。このハーケンという人は、レーザーの理論の研究者で、場の量子論のバックグラウンドがあるんですね。彼は、その数式に登場してくる相転移のようなシチュエーションが、自然界から社会現象までいろんな場所に見いだせるはずだと、大風呂敷を広げてみせたんです。
当時の私は物理学科の学生でしたが、「ああ、こんなことをやりたいな」と憧れたのですが、ふと我に返ってみると……。
――具体的にどうすればいいかは分からない(笑)。
矢野:ええ(苦笑)。
そこで、私が選んだのは企業への就職でした。というのも、考えれば考えるほど、そもそも現実の社会を知らない人間が森羅万象を抽象化して捉える理論なんて扱えるんだろうか、と思えてくるんです。当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて言われていて、この日本の発展を牽引している大企業のサラリーマンが何かを知らずして、社会なんて分かるはずがないと思ったのもあります。
宇野:ということは、もしかして現在の研究というのは、実は学生時代からの30年来の野望の達成ということですか?
矢野:ええ、実はそうなんです!
実際にプロジェクトを動かしてみると、大企業で色々な仕事をやってきた経験のお陰で、人間のデータを継続的に収集する仕組みを作るのは一しきり出来ました。
しかも、プロジェクトが動き出した2006年に、試しに自分の腕に3ヶ月くらいデバイスを装着して、データを取ってみたんです。そうしたら、毎日のように寝るパターンが変わったり、お風呂に入るときのパターンが変わっていくのが可視化されたんです。
しばらくすると、不思議な法則性も見えてきました。例えば、私が酔っ払うとなぜか「2.7ヘルツ」の腕の動きが増えるんですよ(笑)。さらに1年くらい毎日、幸福度を採点する項目をつけて腕の動きとの相関性を測定してみたら、2ヘルツくらいの帯域が多いときに、その日の数値が高いことが多いと分かってきたんです。
こういうグラフを眺めながら、ふと今まで見たこともない風景を上空から見た気持ちになったんです。言葉では上手く見えなかった無意識が、まるで航空写真で初めて都市の風景が分かるように、身体運動のグラフによって表現されているように見えるんです――そうすると、20年前の野望が蘇ってくるんですね。
――今の自分なら、ハーケンの夢が叶えられるのではないか、と。
矢野:ええ。人間に対するしっかりした理論がなかったのは、ひょっとしたら単にちゃんとデータを取っていなかっただけじゃないか。それをせずに、遠視のようにマクロな理論を勝手に作ってきただけなんじゃないかと――まあ、そういう妄想が頭の中で膨らんできたんです。
しかも、最初に言われた「単一電子メモリの室温動作」という研究があったでしょう。あれは電子が複数個あるときの多体問題を解く研究なのですが、それを人間のデータでやればいいのではないか、と閃いたんです。そうやって研究してきた成果をまとめたのが、あの『データの見えざる手』なんですね。
――なるほど。普通、ウェアラブルの話というと、「Apple Watch」みたいな新しいメディアの開発みたいな話になっていくじゃないですか。それに対して、矢野さんはあくまでも人間の探求のために身体データを取得するツールとして扱っていて、そういう視点がどこから生まれたのか不思議だったんです。
矢野:もっと人間や社会の法則の探求という感じですよね。ここまでの話にそういう志向は色濃く現れているように思います。
2.数理化する社会の記述
宇野:今日は矢野さんから、今後の人間や社会を考える上でのヒントになる話を探りたくて来たんです。
この本は端的に要約すると、現代の情報技術を用いるとこれまで可視化されて来なかったさまざまなものごとがデータとして可視化される。そうすると、これまでは思想や文学の言葉でしか表現できなかったもの、たとえば「幸せ」なんてものも、まさに「データの見えざる手」によってかなりの程度まで定式化できてしまうわけですよね。こういうデータが示しているのは、人間の「幸福」というのはかなりのところまで定義可能なもので、しかもコンピューティングパワーさえ向上すれば、その基礎条件すらもハッキリと見えてしまう、という現実であるように思うんです。
矢野:週刊エコノミストという雑誌で、吉川洋先生という経済学の大家の方に『データの見えざる手』の書評をいただいて、「実験経済学とか行動経済学などが盛んになってきた。しかし、それらは本書で説明されている分析に比べると児戯に等しい」という言葉をいただきました。
もちろん、私は経済学は門外漢なのですが、こういう手法が発展したときの利点はいくつかあると思います。その一つが、人間の行動について「頭の中で作った理論」ではないので、地域や社会というかなり大きなスケールでの検証されれば、経済学を再構築できる可能性があることですね。
例えば、物理学における力学の発展史などを見ると分かるのですが、計測データが取れるようになると一気に仮説検証のループは回りだして、世界観が一変するんです。なぜかといえば、データがあると誰もが信じざるを得ないからですね。例えば、リーマンショックのような特異的な現象に対して、現状で満足のいく理論的説明はないでしょう。でも、これがデータに裏打ちされた仮説から得た一般理論による説明がつけば、かなり強力な信頼性を持つと思うんです。
あと、もう一つ言えることとして、既存の経済学というのは「競争原理が働いていて、完全競争が行われた場合には……」みたいな条件を人間につけて考えざるを得ないんですね。
――古くは「経済人」みたいな想定がありますよね。理論モデルとして扱いやすくするための想定なのですが、黒板に数式を書いて議論するしかなかった時代と違って、コンピュータ科学がこれだけ発達した時代には、当然もう少し複雑な想定が可能になってくるのは当然です。
宇野:いままで思想や文学について語ってきた人たちの多くは一生懸命に「幸福とは一元的なものではなくて多様なものであって、不幸を好む人だっている。だから文化の多様性は大事だ」みたいな主張をしてきたわけですよ。逆に思想や文学の言葉で捉える人間観の方が相対的に淡白になっている。たとえば民主主義論ひとつとっても、意識の高い「市民」と低い「動物」のあいだ、エリーティズムとポピュリズムのあいだ、上院と下院、参議院と衆議院でどうバランスを取るか、ということしかやっていない。要するに人間像がかなり極端な2パターンしかない状態で議論しているわけですよね。
矢野:でも、私は自分の研究をむしろ人間の「多様性」を認める方向のものだと捉えているんですよ。
例えば、企業というのはマネジメントの際に、なるべく一律なプロセスを人間に守らせようとするじゃないですか。まあ、そこまで行かなくても、ベストプラクティスを共有して、みんなで真似することを奨励はするでしょう。
ところが、私の『データの見えざる手』に書いたような研究から見えてくるのは、人間は同じ種類の原子のように振舞っていて一律に圧力をかければ同じ現象が起きる……という発想で見るのは、あまり上手くないということなんです。むしろ人間同士の違いを知り、その多様性を認めた上でコントロールを考えた方が生産性も上昇するというのが、データが教えることなんですよ。
私は20世紀というのは、人間を画一化して一律的なルールを守らせることで、価値を向上させた社会だと思うのですが、それに対してデータを用いた新しい21世紀の社会は、より人間の多様性を認めて全体としてのハピネスを高めることで、価値を高めていくのではないかと思うんです。
宇野:なるほど。例えば、経営学のマネジメントの本や自己啓発書というのは文化系の読書階級は心底からバカにしているわけですよね。
矢野:はい、はい(笑)。
宇野:彼らは、「ああいう本は人間をパターン化した思考と習慣の生き物へと矮小化しているのであって、人間はもっと自由でファジーな存在であるから素晴らしいのだ」みたいなロジックをずっと立て続けているんです。ただ、彼らの言うことにうなずける面もあって、これまでのマネジメントや自己啓発の本はマトモにデータを取得できなかった時代に、成功者が単なる体験談を自然科学の法則のように喋っていたものだと思うんです。
ところが、もう既にテクノロジーの発展は遥かに先に進んでいる。人間がどうすれば脳を活性化できるかや、どうすればコミュニティが上手く回っていくかみたいな話は現実に学術の問題として扱われていて、しかもあっさりと科学的に証明され始めているわけですよね。
矢野:その辺は、データの母集団の数を増やすことで、より明確化できそうだと感じています。私が取得しているデータは、特定の集団や会社くらいの規模の単位が多いのですが、もしも自治体と連携して、例えば東京都全体なんかで取れると、かなり普遍的な構造が見えてくるのではないかと期待しているんですね。
宇野:少し変な話をさせてほしいのですが、僕が高校生の頃にオウム真理教の「地下鉄サリン事件」があったんです。そのときに社会学者の宮台真司さんがメディアで活躍されていたのですが、彼が奇妙なことを言っていたんです。もちろん、彼は社会学者として「あんなものは偽物の宗教だ」と批判しているんです。ところが、その理由が普通の人とは違っていて、「やっていることが生ぬるいからだ」と言うんです(笑)。
というのも、実は宮台さんはオウムが登場するずっと前に、自己啓発セミナーにハマって、そのノウハウを完璧にマスターしたらしいんです。その彼からすれば、オウムは精神のコントロール技術が稚拙だし、だからこそ最後にはサリンを撒くことになってしまった、というロジックになるわけです。
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