1987年生まれ。東京都出身。小中高と横浜雙葉学園に通い、2010年に武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。新卒でリクルートメディアコミュニケーションズに入社し、メディア・コミュニケーションを創造する実証研究機関「メディアテクノロジーラボ」にて営業、リクルートメディアコミュニケーションズにてディレクターを経験。2011年から株式会社ハイパーインターネッツにてCAMPFIREのチーフキュレーターをつとめる。
■リクルート社員からキャンプファイヤーの立ち上げメンバーへ
――今日は、PLANETSの案件でも色々と助言を頂いている出川さんに、クラウドファンディング事情についてお伺いしたいと思います。ちなみに、どういう経緯で出川さんはキャンプファイヤーに関わったのですか?
出川 もともとは写真家を志望して、武蔵野美術大学に通っていました。でも、作業中にアレルギーが出てしまったり、体力がなかったりして、スタジオマンにすらなれないことに気づいたんですよ。
ただ、インターネット周りであれば、自分の仕事があるんじゃないかという直感があったんですね。それで、学生時代に色々と自分なりに動きまわっていました。その後、就職活動のときにリクルートが開催しているビジネスコンペでグランプリを頂いて、リクルートメディアコミュニケーションズに入社が決まりました。
――美大からの経歴って少し珍しいですよね。
出川 そうですね(笑)。でも、実家が経営をしていたこともあり、実は子どものころからビジネスの考え方に多少慣れ親しんでいたんです。入社後は研修として、リクルート本社のメディアテクノロジーラボという部署に配属されました。nanapi のけんすうさんなど、名だたる方を輩出した、ちょっと変わった部署ですね。そこで営業として、お菓子メーカーのキャンペーンサイトを立ち上げたり、ランディングページのパッケージを作ったりしていました。
ところが、そんなときに3.11があったんです。あの状況で毎日のように仕事をつづけながら、私はふと自分の置かれている環境に疑問を抱きました。それから色々と悩んで、「やっぱり自分の居場所やタイミングくらい、自分で決められるようになりたい」と、自立したいと思うようになりました。そんなときに、 このキャンプファイヤーの立ち上げに誘われたんです。
――不安ではなかったですか?
出川 大学時代から体が弱かったせいで、ずっとどうすればいいか考えてきた人間なんです。だから、こういうのは慣れていたんだと思います(笑)。
ある日、同じ部署の先輩の紹介で、当時キャンプファイヤーを立ち上げようとしていた家入一真と同席することになったんです。その日はただお酒を飲みながら話していただけだったのですが、どうやら入社テストだったようです。後日、実務周りを担当できる人間として誘われました。
■米国「キックスターター」は「文化」を標榜している
――そもそもクラウドファンディングは当時、日本ではほとんど知られていなかったですよね。
出川 米国の「キックスターター」だけでしたね。日本の「READYFOR?(レディーフォー)」もまだローンチ前でした。キャンプファイヤーは2011年6月の開始で、ティザーサイトこそできていたものの、中身はまだまだという時期です。結局、ほとんど一から参加することになりました。
ただ、はじめのころに投稿されるプロジェクトは、東日本大震災に関するものが最も多かったです。それ以外だと、お金がほしいとか、生活費がほしいとか、家入一真に会いたいとかそういう種のもので……。
――ネットユーザーのオモチャに使われていた、と(笑)。そもそもクラウドファンディングの歴史はどこから始まったのでしょうか。
出川 キックスターターは2009年にスタートしています。創始者は元々ネット専門の人ではなくて、スケボー好きなストリートカルチャーの人だったそうです。ライブをやりたがっている友人のために資金集めをしていたときに、この過程をビジネスにしてはどうかとバイト先の常連客にこの仕組みを相談したことから始まったそうです。だから、当初は「CDを出したい」とか「ライブをやりたい」という人たちが集まるだろうと思っていたみたいですね。
でも、実際に高額のプロジェクトを記録したのは、「時計をつくりたい」みたいにプロダクトを生産したい人たちでした。アメリカには、ガレージをアトリエにして工作するような文化があります。それをネットにアップして「面白いでしょ?」と、みんなに見せたい欲求が、ネットを使って資金を募るクラウドファンディングの性質とうまくマッチしたのだと思います。
――ツイッターやフェイスブックのようなSNSの活用は、クラウドファンディングの成否を握るカギだと思うのですが、「キックスターター」も当初からそうでしたか。
出川 ユーザー向けのサクセスの秘訣には、例えば留守番電話に「もしもし、ジョンです。留守にしています。ところで、最近キックスターターをやっているからアクセスしてね!」なんてメッセージを入れましょうという文章もあったので(笑)、アナログもネットもうんと活用しましょうというスタンスだと思います。
▲米国のユーザーが「キックスターター」の"攻略法"を書いた本『THE KICKSTARTER HANDBOOK』。「CAMPFIRE」スタート時の参考にしたそうです。
――事業として回り出したのは、いつ頃からなのでしょうか。
出川 非常に成長が早くて、翌年の2010年にはかなりの規模になっていましたね。2010年の11月にローンチされたiPod nanoを時計にするプロジェクトは94万ドル(目標金額は1万5000ドル)を集めていたと記憶しています。
一躍彼らを有名にしたのは、「ペブル」という腕時計プロジェクトの成功ですね。スマートウォッチといって、スマホにある機能のうち、例えばアプリやメール、音楽再生などを腕時計でもできるようにしようという構想です。(※参考
http://toyokeizai.net/articles/-/35192 )
最終的には6万9000人から計1030万ドルも集めていますが、2012年5月には1000万ドルを突破しています。
―― 1000万ドルですか! でも、その規模感は米国の人口あってこそという気もしますね。
出川 マーケット規模はもちろんですが、アメリカの文化にも合っていたのだと思います。
私自身が実務で感じていることですが、アメリカ人には「プロダクティブなことは素晴らしい」という感性があるように思います。アクティブであることが偉い、というような。「キックスターターやってるんだ! 応援してよ!」と気軽に発言をして発信もしていて、あっけらかんとしています。
サクセスストーリーが大好きな国民で、みんなでサクセスを探している感じがします。一方で不思議におふざけ系のプロジェクトも多くて、「キックスターターの人と飛行機で話せる」みたいなものが結構なお金を集めていたりもしますね。
――どうしても日本だと、「私が至らず申し訳ないのですがお力を……」という低姿勢になっちゃいますからね。現在のキックスターターはどういう状況なのですか。
出川 2012年頃に、「私たちはストアではなくカルチャーです」というメッセージを打ち出したんです。
その頃から、彼らはクラウドファンディングで資金集めに成功した映画や音楽を流すフェスイベントを開催しています。クリエイティブな方向にユーザーが目を向けていく啓蒙だと思いますね。さらに、最近ではサンダンス映画祭、SXSW映画祭、トライベッカ映画祭で上映される映画作品の1割がキックスターターのファンディングによるもので、何本も上映されています。また、TEDのスピーカーをキックスターター内でまとめて、サイトに特集ページを作ったりもしています。イノベイティブなものを包括する機関を担う方向に向かっている部分もあるのかなと思います。
――資金調達のプラットフォームから、クリエイター支援のプラットフォームに移行し始めているんですね。
出川 キックスターターのなかで一定額を払った人だけが入るファンクラブもあったりするみたいですよ。(※運営しているのはキックスターターではありません)
■震災直後にローンチしたキャンプファイヤー、スタート当初の反応は
▲プロジェクトの成功によって制作されたプロダクトの数々
――スタート当初は、これらをロールモデルにしてきたわけですね。当初は何人ではじめたんですか?
出川 共同代表(当時)の石田と家入、エンジニアの岩掘、私の4名ですね。はじめのころは営業や掲載作業、ライティングとブラッシュアップなど一通りやっていました。エンジニアさんがいたのでかなり心強かったですね。
当時は、キックスターターをちょっとハートウォーミングな感じにすれば日本でもいけるんじゃないかという仮説のもとに、プロジェクトの紹介ページもスタイリッシュでおしゃれな映像や文章で組みつつ、プロジェクトそのものに少しエモーショナルな印象がつくように意識して作りました。
これについては震災直後で、「お金がほしい!」なんて大声で言いにくい時期だったのが大きいですね。そもそも、日本はお金を下さいって正面切って言うのに抵抗がある文化でもあると思うので、なるべく反感を買わずにやろうとした結果ですね。
――その空気は、どのあたりから感じていたんですか。
出川 やはりプロジェクトオーナーの方々から、「こんなご時世にフェイスブックでシェアなんてできないですよ」とか「宣伝しにくいです」という声が非常に多かったです。
■事業を大きく動かし始めた3つのプロジェクトとは?
▲株式会社ハイパーインターネッツ
――キックスターターにとっての「ペブル」のように、キャンプファイヤーにとっての節目になったプロジェクトはありましたか?
出川 3つありますね。一つはローンチしてすぐに家具職人の方が応募してくださった「Desktop Chair」というプロジェクト。PCを置くための木製の椅子型スタンドです。
▲Desktop Chair
出典
二つ目は「WHILL」という車椅子用のモビリティで、取り付けることで時速20キロまでスピードを出せるというもの。まずこの二つのプロジェクトが成約したことが、ユーザーにとってのロールモデルになったと思います。
▲WHILL
出典
そして三つ目は、「co-ba」です。会員制コワーキングスペースを作るプロジェクトで、2011年の秋頃から3ヶ月ほど募集をしました。
これらの3つのプロジェクトが成約したことで、「プロダクト」、「新しいビジネスの創出」、「コミュニティスペース作り」という、三つのクラウドファンディングの柱が立ったと思います。
――こういう場所に最初に応募してくるのって、どういう人たちなんですか?
出川 良い意味で変人というか(笑)、何かをイチから作り出すことに、もう何の躊躇もないような方たちでした。
例えば「WHILL」の代表の方はSONYを辞めて、打ち合わせのときにいきなり大きな図面を持ってきたんです。そして、「誰もが無理だというが、俺はこんなものを作りたい」と熱く語ってくれました。すごい行動力です。
「co-ba」の方は、リクルートの元社員でした。新しいビジネスを作ろうとしている人たちでしたから、当然家入のことも、キャンプファイヤーのことも知っていました。「Desktop Chair」の方は、既に米国のキックスターターのファンで、大変に詳しかったです。
――まさに、エンジニア・起業家・アーリーアダプタなユーザーって、もうネットで新しいことをしたがる人間たち「三種の神器」という感じですね(笑)。
出川 初期のパトロンになる方も、そういう新しモノ好きな方たちでした。おそらく、その中でもネット上でお金を払うことに抵抗のない人たちだったのだと思います。
――その後に話題になったのは、どういう商品ですか。
出川 不思議と伝統工芸などの職人系プロジェクトは、運営側の予想を上回って成約することが多いですね。職人さんはSNSをやっていない方が多いのですが、じわじわと拡散していくことがあります。最近、お碗をつくるプロジェクトが成約したのですが、この方もSNSをやっていないのに着々と伸びました。
――良いお碗みたいな生活用品の需要って、クラスタとか関係ないでしょうしね。
出川 伸び方で興味深かったのは、「タニマダイバー」というジョークネックレスのプロジェクトですね。ダイブしている姿のフィギュアがついたネックレスで、これを胸の大きい人につけてもらった画像を紹介ページにアップしたら、カルチャーサイトの「KAI-YOU」さんが取り上げてくださって、一気に伸びました。
▲タニマダイバー
出典
http://camp-fire.jp/projects/view/1072――これは、面白がる女の子が多そうですね(笑)。
出川 あとは猫の寿命を定規のメモリで表現した「NekoMemori(ネコメモリ)」も人気でした。これは猫の専門サイトに掲載されて、ツイッターでもかなり拡散されました。特殊な伸び方をするのって、やはりメディアに取り上げられたり、拡散力のある人がさらに広めてくれたりと、ラッキーが後押ししてくれる感じのものですね。
■勤務時間に支援する人が多い?
――プロジェクトのお金の集まり方にパターンはありますか。
出川 プロジェクトが始まると、「最初のパトロンになりたい!」というコアファンが集中して、それ以降の様子を見ていたエントリー層の人たちが、終了が近づくにつれて「逃したくない!」と集中していくのが基本です。
ですから、伸びのグラフはM字型ですね。最初にグッと伸びて、だんだん落ち着いて下降気味になり、ラストスパートでまた伸びることもあります。ただ、だいたい中間で落ちますね。まれに、なかなか落ちない人気プロジェクトもありますが、それはプロジェクトオーナーが積極的にコミットしてくれている場合です。PLANETSさんのプロジェクトは今のところ、いい感じに伸び続けていますよね。
――今回、PLANETSでやってみて、やはり支援を増やすには「花火」が必要というか、伸びるのはある程度目立つことをしたタイミングだなと感じました。
出川 そこで、その間に早期支援割引などの小さな施策を入れていただくようにしています。
――ちなみに、パトロンってどういう人たちなんでしょうか。
出川 パトロンが増えやすい時間帯を見ていると、平日の、ちょうど仕事をしている時間帯と重なるんです。
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