アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第12回。
今回は、Netflixオリジナルアニメシリーズ『日本沈没2020』をめぐる考察です。小松左京の原作を大胆に再解釈し、東日本大震災以降のリアリティで映像化した本作を、山本監督はどう観たのか?
山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法
第12回 『日本沈没2020』をカルトムービーとして観る~「正気」と「狂気」との狭間
『日本沈没2020』(2020)は、正直観るつもりがまったくなかった。
しかし、やはり先の震災を想起させる要素が多くあるらしく、僕のファン界隈でそこに違和感を持つ人が少なからず出始めたので、知りませんではまずいなと思い、観た。
ああ、こりゃアカン……。
最初はただ呆れた。
しかし、巷によくある批判としての「震災に対する冒涜」「反日」という感想とは、何か違う印象を持ち始めた。
そして気が付けば、全話完走してしまっていた。
あれれ、こんなに惹き付けられるとは?
どういうことだろう?
ある種の懐かしさまで感じた。
そうか、『日本沈没2020』は、カルトムービーとして観ればかなりのケッサク(傑作とは書かない)なのだ。
カルトムービーというのは、江戸木純の定義する「サイテー映画」とほぼ同義と考えていただいていい。
僕らは大学生の頃「バカ映画」とも称していた。
どの名称にしても穏やかではないが、それは『日本沈没2020』という作品に対する、情け容赦ない否定には必ずしも当てはまらないのが大きなポイントだ。むしろリスペクトの要素さえある。
この「狂気」と「正気」の寸分しかない境界に奇跡的に誕生したとも言える、希有な存在『日本沈没2020』について語ってみたい。
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