アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第6回。山本さんにとって、絶対に忘れ去られることの許せない古巣・京都アニメーションへの放火事件とオタクという存在の頽廃について、事件から8ヶ月を経たいま、改めてかつての当事者の視点から語り始めます。
この連載をPLANETS編集部から依頼された時、それは2019年9月だったはずだが、書く内容を打ち合わせした際、僕は真っ先に「京アニ事件について書きたい」と強く提案した。
結果それには難色を示され、今の体になるのだが、2020年2月現在、僕にはますますいろんな感情、特に違和感が積もっている。
なんだこの空気は?
なんだこの触れちゃいけない感じは?
PLANETSでさえ及び腰だ。
お前ら、この事件を歴史上から消し去るつもりか?
僕はずっと公式ブログを通じて「触れずにいられるものか!」とひとり怪気炎を上げていたが、この連載でもしっかりと語らせてもらう。
まずは、「京アニ事件」を、絶対風化させてはならないから。
そして、この事件が間違いなく、日本アニメ史・オタク史が「道を間違えた」末のひとつの大きな結果だからだ。
念のため申し上げておくが、僕は1998年3月~2007年6月、9年4ヶ月間にわたって、京都アニメーションに正社員として在籍していた。
2019年7月18日、僕は大阪に向かっていた。
前の月から公開されていた拙作『薄暮』が大阪・京都でも上映され、半ばゲリラ的だが、劇場のポスターにサインでもさせてもらおうと考えていた。
その前々日には宇野さんの番組にも出演し、とにかく『薄暮』を宣伝しないと、と焦っていた。
JR中央線で東京駅に向かっていた時だ。何気にTwitterを覗いていたら、
「ヤマカンが京アニに放火した」
また失礼なことを書く奴がいるもんだなと思っていたが、ちょっと引っかかった。
放火?
その瞬間、心がゾワッとしたことを今も覚えている。
早速検索をかけて、画像を開いて、凍り付いた。
これはボヤレベルの話じゃない、大炎上だ。
1スタ(第1スタジオ)が燃えている。
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