編集者・ライターの僕・長谷川リョーが(ある情報を持っている)専門家ではなく深く思考をしている人々に話を伺っていくシリーズ『考えるを考える』。前回は東工大の美学者・伊藤亜紗さんの身体論から、「分かる/分からない」の境界に迫りました。今回はグラミン銀行やGoogleを経て、「インナーテクノロジー(人間の内的変容に関するアプローチ)」を探求する三好大助さんにお話を伺います。近年、日本でも耳にすることが増えた「マインドフルネス」や「メンタルモデル」、「NVC」。内面を扱うこれらの技法はビジネスの現場への導入も近年進んできています。自らの職務経験を通じて感じた”課題解決パラダイム”の限界や、組織力学から発生する不本意な連鎖。それらの問題に対して、再現性をもって扱える時代になってきていると説く三好さん。“自らの全体性を祝福する技術”の可能性を語っていただきました。
※学問的な正確性、関係者に対しての不適切な表現があったため、著者の意向により一部内容を修正しました(2024年4月25日)。
自己統合を促すインナーテクノロジーの可能性
長谷川 日本ではまだあまり聞き慣れない「インナーテクノロジー」。まずはその概要からお伺いしてもよろしいでしょうか?
三好 インナーテクノロジーとは、人間の内面を扱う手法全般に対する呼び名の一つです。マインドフルネスやメンタルモデル、NVC(Non-violent Communication=非暴力コミュニケーション)など、世界には内面を扱う様々なアプローチがありますよね。
現在ではこれらのアプローチ一つ一つの体系が深まっているのと同時に、必要に応じてアプローチを組み合わせることで、人間の内的変容プロセスをサポートしやすくなってきています。
僕自身は、どうしたら人間がその人本来のエネルギーで生きられるようになるのかに興味があって。自分なりに可能性を感じるインナーテクノロジーを収集して体系化しながら、企業や個人に分かち合う活動をしています。
長谷川 あえて「テクノロジー」と銘打っているということは、ある種スピリチュアルに対するアンチテーゼも込められているのでしょうか。万人が汎用的に用いることのできる技術体系を目指す意味合いも込められているというか。
三好 アンチテーゼかは分かりませんが。この「テクノロジー」という単語で呼称している人たちの話を聴くと、「それにアクセスして学ぶことができれば、誰もがある程度再現性をもって恩恵を受けられる」、そうした方法論にリスペクトと祈りを込めて「テクノロジー」と呼んでいるそうです。その捉え方に共感したので、僕も「テクノロジー」という言葉を使っています。
また「U理論」をはじめとして、人間が自分自身を抑圧したり自己分離していくプロセスと、そこから自己統合をしていくプロセスは、ある程度共通した過程を辿ると捉えられています。今自分がどんなプロセスの中にいるのか自己理解できて、その時にどんなインナーテクノロジーの手法が役立つのかが分かる。そうした状況がつくれたらいいなと思って活動しています。
長谷川 そもそも自己統合の前の、人間が自己分離していくプロセスとは、一体どのようなものなのでしょうか?
三好 あくまで僕の解釈も交えた整理なのですが、まず子どもは誰しも家庭や学校といった既にある世界に適合しようとします。特に親から分離しないよう無意識に頑張るわけですね。でも生きている以上、体験としての分離はやってきてしまいます。「期待した形で受け入れてもらえなかった」「見てもらえなかった」という風に。そして痛みを味わうことになる。僕であれば、悪いことをすると親から地下室に閉じ込められていて。幼い時は自分が親から切り離されてるようで、その時間がとても辛かったのを覚えています。
その状況で子どもは何をするかというと、無意識下でその痛みが起きた理由付けをするという風に見ているんです。僕の例であれば「自分は家にいなくてもいい存在だから、こんなことされるんだ」というように。そうやってドラマに浸ることで、地下室の暗闇にいる間でもその痛みに直面するのを回避できるわけですね。
長谷川 なるほど。そうした幼児期の行動はだんだんと分かってきているんですね。
三好 科学的に解明されているわけではありませんが、「メンタルモデル」という体系の一説によると、こうしたプロセスを繰り返すことで、つくり出された理由は真実ではないにも関わらず潜在意識へ刻まれ、人生を左右する無自覚な信念になっていくと言われています。僕であれば「自分はこの世界にいなくてもいい存在なんだ。だから親や人はこんなことをするんだ」といった感じですね。
コメント
コメントを書く