今回から消極性研究会(SIGSHY)の新連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』が始まります。「もっと積極的になりなさい」と言われる機会は多いものですが、人の性格を変えるように促すことは果たして合理性があることなのでしょうか。それよりも、消極的な性格のままでも人と交流しやすくする環境や道具をデザインすることが大切なのではないか。消極性研究会から西田健志さんに、消極性デザインと研究会の取り組みについて紹介していただきます。
みなさんは「もっと積極的になりなさい」と親や学校の先生にたしなめられたことはありませんか。今でもそんな風に会社の上司に怒られてます、なんていう人もいるかもしれません。心の中で「もっと積極的にならなきゃ」とよく自分に言い聞かせてます、なんていう人もいるかもしれません。ちょうど、入学・入社して環境が変わったり、就職活動が本格化したりするこの時期、そういう悩みに自覚的になる人も多いのではないでしょうか。
しかし、そもそも人の性格というものはそう簡単に変わるものでしょうか。簡単でないとしてもやるべきことはやるべきですが、そもそも性格を変えるように促すことには正しさや合理性があるのでしょうか。
人の性格を変えるのは難しく、消極的な性格のままでも人と交流しやすい、あるいは行動を起こしやすいようにハードルを下げた環境や道具をデザインすることが大切だと私は考えます。
この連載ではそのようなデザイン「消極性デザイン」にまつわる様々なトピックについて「消極性研究会」のメンバーが交代でそれぞれの得意とする切り口から考えていきたいと思っています。「消極性デザイン」ってどんなものだろう。「消極性研究会」って何者だろう。ほとんどの人はそう思うのではないかと思います。初回ですので、まずはその当然の疑問に答えながら、次回以降につなげていきましょう。
第1回は、西田健志が担当させていただきます。情報理工学の博士を取得後、神戸大学で准教授をしているものです。学生時代からずっとコンピュータに向き合う人生を送ってきたのですが、人間への興味がだんだんと自分の中で大きくなって今ではコミュニケーションシステムの研究を主にしております。国際人間科学部グローバル文化学科というこの国でも「積極的になりなさい」圧がもっとも高そうなところで消極性を叫ぶ日々です。
消極性デザイン?
私は大学教員をしておりまして、冒頭のような悩みを抱えがちな学生たちを身近に見守る立場にあります。しかし、自分だってそう積極的なわけでもないのにそれを棚に上げて「もっと積極的に」とはなかなか口にできません。新入生歓迎のオリエンテーション行事では隅で会話の輪に入れないでいる人の存在に目を奪われてしまいます(それが教員だったりもすることもあるわけですが…)。授業中に学生をあてるときにはあてられる側の気持ちを想像してしまうのでこちらがひどく緊張してしまいます。
一方で、授業中にはおとなしく、意見や質問をすることも稀だったような学生が、就職活動で突如として積極的に振る舞い始めるのも少なからず目にしてきました。これは一体何なのでしょうか。やはり、人は簡単に積極的に変わることができるものであって、「もっと積極的になりなさい」と叱責することには合理性があると思われるかもしれません。
私は、その人自身の性格の変化よりも周囲の環境の変化の方が大きいのではないかと思っています。周りの学生が積極的に振る舞っている中、自分だけおとなしくしていたのでは逆に目立ってしまいます。目立たない程度に積極的に見えるように振る舞った方がまだましだということがあるということです。実際、そういう学生は大学では変わらずおとなしくしていますし、就活を通じてみるみる疲弊していっているようにも見受けられます。
留学帰りの学生にも同じようなパターンが少なからず見られます。「留学先ではだんだんと積極的に振る舞えるようになったんです。でも日本に帰国して気が付けばあっという間に元通りでした。でもまた向こうに行ったら積極的になれるような気がします。」と話してくれることがありました。
もちろん、どんなときでも積極的に振る舞ってよく目立つ人もいますし、就活に追い込まれても消極的なままという人もいます。しかし、大多数の人はその中間のどこかの性格を持っていて、周囲の環境によって振る舞い方が変わってくると考えるのが自然に思われます。消極的寄りである人が周囲の環境に合わせて積極的に行動することはあるけれども、それは性格が変わっているのではなく少なからず無理をしている結果であり、環境が戻れば振る舞い方もまた戻ってしまうのです。
表に現れる行動と比べて性格の根っこにある部分は変化しにくいものだとして、消極的な人たちの振る舞いを引き出すには環境的に追い込んで無理をさせるしかないのでしょうか。建物をバリアフリー化することで車椅子生活をしている人の行動範囲が広がっていくのと同じように、心理的な障壁を取り除いて消極的な人の参加できる範囲を広げていくようなこともできるのではないでしょうか。もしそういったことが大きな負担なしに実現可能なのであれば、合理的な配慮であると言えるはずです。
デザインを生業とする人たちにとっては、モノや環境に人が合わせるのではなく、人が快適に利用できるモノや環境を作るべきという発想はごく自然で当たり前のものといっても良いでしょう。ユニバーサルデザイン、ユーザエクスペリエンスデザインといった言葉の広がりとともに多くの人にその考え方は浸透し始めているようにも思います。しかし、こと消極性に関しては本人の努力によって乗り越えるべき問題とされ続けています。「もっと積極的になりなさい」という言葉の棘が呪いのように心に突き刺さったまま置き去りにされ、多くの人たちに少しずつの無理を強いているのです。
消極性もデザインが対象とするべき領域なのではないでしょうか。このメッセージを象徴する意味も込めて、人の消極性を対象としたデザインのことを私たちは「消極性デザイン」と呼んでいます。(英語ではshyhackという語を用いています。「ハック」というと自分のためにちょっとした工夫を行うという印象で微妙にニュアンスは異なりますが、あまりそこは深く区別せず、響きやなじみやすさを重視しています。)
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