『現役官僚の滞英日記』の発売を記念した、著者・橘宏樹さんエッセイ、今回で第二部の完結です。現代日本を「3つのトレンド」から読み解こうとしてきた第二部、今回検討する3つ目のトレンドは「自営業の衰退」です。サラリーマン化が進行した現代、橘さんは副業や複業で経営感覚を取り戻す「一億総経営者時代」が個人の生活の質にも国家経営の視点にも寄与するのではないかと提案します。
今回も全編無料公開でお届けです!
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【書籍情報】
橘宏樹『現役官僚の滞英日記』好評発売発売中!
おはようございます。橘宏樹です。PLANETSから「現役官僚の滞英日記」を出版しました。2月1日の発売から、読了された方も出始めて、様々にご反響をいただいています。例えばこちらなどは、照れ臭いですが、僕の想いや心がけが知らない人にも伝わる喜びを実感しました。
また、cakesやプレジデントオンラインで一部記事が掲載されたことで、多くの方々の目にも触れたようです。特にtwitter上で、コメントいただいたのをきっかけに、色々な方々とやりとりを楽しんでいます。皆様からのご感想も @H__Tachibana にてお待ちしております。
この三部作・計5本からなる刊行記念(Govenrment Curation(通称:GQ)連載開始記念)エッセイ・シリーズでは、僕の自己紹介や、社会観、PLANETSと共に発信活動をしている動機などを、述べています。
本稿は4本目。第二部の後編です。第二部では、日本の閉塞感の本質的原因だと僕が考えている、日本社会の3つのトレンドにおける変化をひとつずつ述べています。
第二部前編では3つのトレンドのひとつめとして、「①:世代交代」すなわち、創造性と執念と器量を兼ね備えた戦中派世代のエートスが後退している点を指摘しました。そして、貴方がもし、何かをしたい、だが、周囲を無暗に刺激したくない、と、くすぶっているのであれば、戦中派のエートスを持つ「コンサバの真の族長たち」を(組織の外に)探しに出かけよう。熱意と水準とピュアさを磨いて、彼等のサポートを得て「コネ・カネ・チエ」を受け継ぎながら事を興せば、ハレーションを抑えられるかも。それは「コンサバをハックする」具体的な方法のひとつとなる。というようなことを述べました。
中編では、3つのトレンドの2つ目「②:大部分利益の後退」について、戦後70年の日本経済社会史をざっくり振り返りつつ述べました。すなわち、戦後昭和の40年間「同質性が高い」「分厚い中間層」をリードしてきた財閥系大企業や官庁等コンサバ組織群の社会経営力が、平成30年間で衰退した過程を描写しました。そして、同時に、「同質性が高い」「分厚い中間層」の縮小・分裂を、基本的人権の尊重を戴く現行憲法下の行政府は好ましく考えないだろうことを踏まえつつ、ポスト平成期ではどうしたいのか、みんなで考えなくちゃいけない、という問題提起をしました。
本稿、すなわち第二部後編では、3つ目のトレンドについて述べます。それは、トレンド③:「自営業の衰退」です。
トレンド③:「自営業の衰退」
まず、2006年版『厚生労働白書』の、サラリーマン≒雇用者(=会社,団体,官公庁又は自営業主や個人家庭に雇われて給料・賃金を得ている者及び会社、団体の役員。)の数・割合の推移をご覧ください。少し古い資料ですが、昭和から平成にかかる50年間が俯瞰できます。
(2006年版『厚生労働白書』より)
また、同グラフには、
《「サラリーマン」化の進行 ~雇用者の割合は約85%に達している~ 》
第2次、第3次産業の発達に伴って雇用者は増加してきた。就業者に占める雇用者の割合は、おおむね10年に10ポイントの割合で高まってきており、1953(昭和28)年42.4%だったのが、1959(昭和34)年には50%を(51.9%)、1993(平成5)年には80%を(80.7%)超え、2005(平成17)年には84.8%となっている。」
という記述も付されています。補足すると、1955年から65年までの10年間では、サラリーマンの割合は約20%も増えています。ちょうど商店街の肉屋さん、魚屋さんの息子たちが家業を継がなくなってきた時代、いい大学に行ってホワイトカラーのサラリーマンになることが成功例になりはじめた時代であり、植木等が演じるサラリーマンの悲哀を揶揄したコメディが流行った時代です。この製造業・サービス業の伸長に伴う「総サラリーマン化」とは、第二部中編で触れた「同質性の高い」「分厚い中間所得層」の形成そのもの、またその具体的な姿であったと言っても過言ではないでしょう。
「修身斉家治国平天下」
雇用関係の数字ですと、最近は普通、失業率、女性の就労、非正規・正規、外国人といった項目に注目が集まります。しかし、ポスト平成期の日本社会をどうするか、を考える観点からは、僕はこの雇用者数という数字を重視したいです。なぜなら、社会をどうするか、といったことを考える力、実際に社会を何とかする力、すなわち経営力が、普段から養われている人の割合を示していると思えるからです。
儒教の経書『大学』のなかに「修身斉家治国平天下(しゅうしん・せいか・ちこく・へいてんか)」という言葉があります。天下を平和にするためには、まず自分自身の身を修め、家庭をととのえ、国を治め、と、ボトムアップでちゃんとしていかないといけない、という意味です。僕にはこの、スケールの小さい経営と大きい経営が、入れ子状態に積みあがっているという組織観・社会観がしっくりくるのですが、いかがでしょうか。課長がちゃんとできない人に部長はできそうでしょうか。社長を任せられそうでしょうか。
日本は国民主権です。理念的には、全員が国家経営者です。とはいえ全員が総理大臣だったり衆参議長だったり最高裁長官だったりはしませんから、実際は国家経営の実務を担ってはいません。でも、選挙で、誰ならちゃんと治めてくれそうか、判断するのは有権者ひとりひとりです。それには、治めるってどういうことか、より多くの国民が日々よく考えている、よく実践しているというような国の方が優れた国民主権国家であると思います。この点、自営業者は「斉家」「治国」をしている方々だなと思います。
自営業者と3つのエートス
というのも、自営業者は、まず、普通、会計責任者であり営業責任者です。生き残るために、儲けを増やす手段やコストを減らす手段に絶えず頭を悩ませる必要があります。手と足を動かす必要もあります。責任と権限を駆使しながら苦手なこともやって力量を磨き、サバイバルしていかねばなりません。専門外だとか、所管外だとか言ってられません。この点、サラリーマンは、もちろん厳しい環境下で働く方もいますが、労働三法で守られていますし、裁量を大きく与えられて活躍する方もおられますが、自営業者と比較すれば、責任と権限の範囲も組織の中で限定されています。
また、自営業者は、普通、組織経営者です。社員の幸せと、組織の収益のバランスが常に問われます。これに失敗したら、社員が離れて全ての業務をひとりでやることになったり、あっさり倒産したりします。この点、サラリーマンは通常、これほどのリスクにはさらされていません。労働者の部分利益を主張する権利が認められています。また、必ず上司がいるので、指示を待つことができますし、失敗の責任を自分だけが負わせられるケースは少ないでしょう。結果として、大企業などでは、経営は「上の人」に委ねて、自分は組織の中で空気を読んで生きていくことに集中しようとするメンタリティがいつの間にか育ちがちかもしれません。
そして、自営業者は確定申告をします。税務署に指摘を受ければ信用問題にかかわりますし、緊張感があります。自然と、納税者意識が高められます。対して、源泉徴収で天引き後の額を見がちなサラリーマンは、明細を見て税を高いと感じることはあっても、納税額を自ら算出して自ら納めたりはしない分、どうしても主体的な納税者意識は涵養されにくかろうと思います。自営業の方が投票率が僅かに高いという調査結果(注1)がありますが、これと無関係ではないように思われます。
このように、自営業者は、経営主体として厳しい生存競争にさらされています。第二部前編で「コンサバの真の族長」の美点として挙げた戦中派のエートス3点、すなわち「発想の自由闊達さやゼロからイチを生む気質(創造性)、徹底的にやり抜く厳しさ(美意識)や自分事として全力で取り組む(主体性)」が育まれる環境下で生きていると言えるでしょう。バブル崩壊や平成不況を生き抜いた起業家・経営者・投資家たちも、第二部前編で述べた「③新生太陽」たちのメインパートを構成し、新時代における3つの価値を論壇で折々に示してくれているように思います。
とはいえ、これら3つの価値すべてが必ずしも問われない環境下にある自営業者も存在しているとは思います。例えば、第二部中編で触れた「ケイレツ構造」に組み込まれた中小企業経営者であれば、概ね取引先も収支の規模も決まっています。すると、創造性よりも親会社の顔色をうかがうスキルが必要とされます。従属性という点で、限りなくサラリーマンに近づきます。また、好景気が長くて国内市場が十分に大きければ、大して努力や工夫をしなくても稼いでこれたことでしょう。そのかわり、同じランクの子会社同士で熾烈なコスパ競争を繰り広げることにはなりましたが。また、もちろん、サラリーマンであっても、しっかりとした経営力を有する人たちもおられるでしょう。彼らは、基本的には、第二部前編で述べた「②星を継ぐ者」に整理されていくのではないかと思います。
このように、①戦中派の後退(世代交代)、②「大部分利益」の後退、そして、③自営業者の後退という3つの後退トレンドの結果、「創造性・美意識・主体性」という、専ら経営者感覚に由来する美徳が、日本の(コンサバ)組織や社会から後退していること、そしてこのことが、日本の昨今の閉塞感の本質的な要因であるという解釈を提唱したいわけです。
だいたい、どこかで聞いたような、既にそこはかとなく感じているような、当たり前の話だとお感じになる方も多いかもしれません。ただ、本稿にプラスアルファの意義があるとするならば、3つの後退トレンドへの着目がやや珍しいということ、それらを、日本の閉塞感の原因であると仮説していることもおそらくやや珍しいということ、そして、それぞれに対して、具体的な処方箋を添えていること、になるでしょうか。総じて、右翼と左翼、保守と革新といった二項対立で日本社会を切るのではなく、戦後70年をコンサバ経営社会の盛衰として捉える社会観を提示したいわけです。尚、ここでいうコンサバ経営社会という概念は、伝統的権威主義重視風で、一見右翼的・保守的な印象があっても、弱者に対するオトナの甲斐性やサバイバルのための挑戦や創造を行う気風があるので左翼・革新的な部分を十分に含むものです。
また、処方箋とは、これまで各回でも一部書いてきましたが、ざっくり言うと、①戦中派の後退(世代交代)に対しては、スゴい大先輩を探して認められて、コンサバ資源を受け継げ。②「大部分利益」の後退に対しては、新しい「大部分利益」を創出しよう(次回第三部で詳述)。そして、③自営業者の後退に対しては、昨今の、サラリーマンが自営業者になれる機運を捉えよう。という提案になるだろうと思います。
副業・複業がもたらす経営センス
さて、サラリーマンが自営業者になれる昨今の機運とは何でしょうか。お気づきの方もおられるかもしれません。そう、副業・複業です。プロボノ、ボランティア、NPO活動等への参加も含めて良いかもしれません。昨今、ビジネス誌でも特集がよく組まれてますよね。サイボウズなどが旗頭になっています。
思うに、最近の副業・複業ブームの文脈では、収入源の多角化もさることながら、趣味や特技で起業していこう、転職準備していこう、といった自己実現的要素が強目に見受けられることが特徴かもしれません。また、本業で得た知識を副業に活かし、副業で得た人脈を本業に活かし、といった複業間の相乗効果を設計する人々も多いように感じます。貧乏学生が行うバイトの掛け持ちとは少し趣が異なるように思います。
いずれにせよ、終身雇用制で職場に忠誠を誓い、余計なことは考えずに目前の労働一本に従事するサラリーマン生活を送るよりも、メンタリティが自営業者・経営者に近づくことになると思います。なぜなら、まず、複数のシゴトに自分という限られた労働力やスキルを配分する、そしてそれらから異なる種類の効用を得る、総合的に費用対効果の予算決算を考える、といったポートフォリオを考える必要が生まれるからです。ひとつの職場で働くサラリーマン生活を送るよりも自分という経済主体のマネジメントが一気に複雑化しますよね。また、本業で収入をある程度を確保していれるからこそ、副業では、とれるリスクも増えるでしょう。本業でストレスが溜まっていれば、その分チャレンジへの欲も増すかもしれません。それから、確定申告をする人も増えるでしょう。クラウド会計ソフト「freee」という確定申告が簡単にできるアプリの普及はこれを加速するかもしれません。
マルチ・リテラリストへの覚醒
加えて、個人的にはこれもかなり重要なメリットだと思っているのですが、副業・複業等を持つことで、複数分野において、専門家ほどではないにせよ、一定水準の「チエ」と「コネ」を持ち、何が良いか誰が一流かがわかる知見、すなわち、「マルチ・リテラシー」を獲得することに繋がると思います。「マルチ・リテラシー」を得ると、専門性に秀でた日本型専門家「I字型」人材を複数繋ぎ合わせてイノベーションを導くことができる「E字型」人材になる道が開けてきます。本業での人脈(コネ)・知見(チエ)と、副業での人脈(コネ)・知見(チエ)を掛け合わせてイノベーションを起こしていくという、希望が見えてきます。このあたりは、拙著(『現役官僚の滞英日記』)で詳述しています。
「一億総経営者」社会が担う真の民主主義国家へ
本当に副業・複業が増えていったら、自分は自分の経営者であるという自覚を深めたサラリーマンが増えたならば、雇用者の大半が、経営センスを帯びる時代。すなわち、「一億総経営者時代」がやってくるかもしれません。社畜にならず、自分の人生をしっかりグリップして経営する感覚を取り戻す時代。所属企業からコネやチエをハックした半自営業者たちの時代―――。大組織内に複業経営者的サラリーマンが増えれば、その組織自体も、責任逃れや、セクショナリズム、視野狭窄、依存、甘え、傲慢、怠惰といったいわゆる官僚主義的な欠点から遠ざかることができるかもしれません。さらには、国民の大半が経営感覚を有し始めたならば、社会はどうあるべきかを美意識をもって創造的・主体的に考え、無関心に逃げ込まず、主権を担い、行使していく、より進んだ民主主義国として日本が真に覚醒していく道にも繋がっていくのかもしれません。そういうような希望的仮説を抱きつつ、これからも研究を続けていきたいと思っています。
(続く)
(注1) 蒲島郁夫 「政治参加」綿貫譲治・三宅一郎・猪口孝・蒲島郁夫[編]『日本人の選挙行動』 東京大学出版会, 172一202頁, 1986年。
▼プロフィール
橘宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、英国の名門校LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス)及びオックスフォード大学に留学。NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。twitterアカウント:@H__Tachibana
『現役官僚の滞英日記』刊行記念エッセイ、配信記事一覧はこちらのリンクから。
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