「それで、喧嘩になったのですか」
「うん……」
とある共学校の放課後、人も閑散となった教室にて。
机を挟んで対面側に腰掛けている少女に問われ、春はしみじみとうなずいた。
昨日の休日、自分が契約を結んでいる最強の竜との一幕を話していたのである。
聞き手の少女はふんわりと微笑み、春に対して丁寧な口調でこう言った。
「保島さんは、意外とお強いのですね」
「つ、強い?」
「だって、うちのお父さまと口喧嘩をなさったのでしょう? 最強の竜と口論など、並の神経ではまず無理だと思うのです」
「そ、そんな口論なんて。私、ただ……」
「わかっています。料理を貶されたのが悔しかったのですね」
うつむく春の頭を、身を乗り出して優しく撫でる。
少女の名前は「仙臺いろは」。最近、春のクラスメートとなった少女であり――驚くことなかれ独眼竜バハムートの娘である。
彼女は父親のこともあって、春とはすぐに打ち解け、友人になれたのだ。
さらっと流れる艶やかな髪の毛と、春よりも整っているがやや眠そうな顔だちは、確かに人間の少女のそれである。
が、よく見るとスカートから太い尻尾がはみ出している。頭部の脇に見えているのは、竜族特有の角だ。
「超越存在」が東北でどれほど人間に受け入れられているのか、普通に学生として生活を送っている彼女を見れば瞭然と言えよう。
閑話休題。
「それで保島さん」
「あ、いろはちゃん。下の名前で呼んでくれていいよ……友達なんだし」
「では、春さん。私に相談とは何ですか」
その言葉に、春はうつむいて、前置きをするように言った。
「あのね、バハムートさんも生き物なんだから、好き嫌いがあるのは仕方ないと思うの……ちょっとわがままだと思うけど」
「好き嫌い……わがままですか」
友人から若干顔を背けるようにしていろははつぶやいた。
彼女と友人関係になってそれなりの月日が経っているが、その間に春の料理の腕はイヤというほど身にしみていた。
一言で言うと、次の通りである。
――「The・殺人錬金シェフ」。
彼女の料理は調理過程で、何らかの劇物と化し、食するものをノックアウトするのだ。
メシマズで済ませられるレベルではない。バハムートの評価も、あながち間違ってはいないのだ。
「……そうですね。個性的な春さんのお料理、好き嫌いで残すのはよくないと思います。我が父ながらまことに遺憾です」
「……いろはちゃん、どうして向こうを向いたまま棒読みでつぶやくの?」
「春さん頑張ってください私も影ながら応援しますただし一身上の都合で味見には協力できませんのでそこは申し訳ありません」
「こ、今度は息継ぎなしで! 味見してなんて、誰も言ってないよう……」
予防線を張られて、ますます涙目になる春。
ともあれ、前置きから少し話がずれたようだ。彼女は多少強引に本題に戻ることにした。
「それで、相談のことなんだけど……私も色々と考えたの。どうやったら、バハムートさんにちゃんと料理を食べてもらえるかって」
「それで、結論は出たのですか?」
「うん……バハムートさんが好きで、さらに高級な食材を使えば、多少料理スキルが低くても何とかなるんじゃないかと」
「……そこで、どうして自分の料理スキルを磨くという答が出てこなかったのですか」
友人の力説に、思わずこめかみに汗するいろは。
だが、残念なことに春は大まじめであった。
彼女はどこか気弱な表情を崩さないまま、それでも小さく拳を握ると、
「あの、そういうわけで、いろはちゃん……バハムートさんの好きそうな食材ってわからないかな?」
「……え」
「バハムートさんはいろはちゃんのお父さんでしょう。何か知ってるかと思って……それにその、ドラゴンの好みって人間の私にはわかりにくいし」
「はぁ……好み、ですか」
正直、どんなに好みに合致したものを使おうが、春の手にかかった時点で毒物になって終わりな気もする。
しかし、いろはを見つめる春の目は期待に満ちていた。よほど、バハムートにちゃんと食べてもらいたいのだろう。
なら、その健気な気持ちに水は差したくないといろはは思った。
(どうせ食べるのは、お父さまですし)
割と酷いことを考えながら、ふむふむ、と沈思黙考に更け居る。
やがて、顔を上げると、
「やはり……牛タンが一番でしょうか」
「牛タン?」
「はい。そうです、仙台牛タン焼きです。あれが一番口にあうと、お父さまは言ってた……気がします」
牛タンは言うまでもなく、牛の舌である。弾力と歯ごたえがあり、濃厚な旨みがある。
そして仙台は牛タン焼きの発祥の地とされていて、観光客はもちろん、現地の人にも牛タンが愛されているのだ。
「そ、そうなんだ。牛タン……うん、これなら私もちゃんと料理できる気がするよ」
何を根拠にそう言うのか、いろはにはさっぱりわからないのだが、少し自信をつけたように春は笑った。
と、その表情がまたもや曇る。
「でも……美味しい牛タンってどこで手に入るんだろう……この辺のお肉屋さんの牛タンは全部料理した気がするけど、大して料理が変わったように思えないし」
「そうですね……」
いろはは再び考えこんだが、すぐに何かに思いついたように片手を挙げた。
「それなら、心当たりがあります」
学校近くのファミリーレストランに、その人物は呼び出されていた。
どこか妖艶な雰囲気のする女性である。露出の高い衣服を身に纏い、なぜか大きな鎌まで手にしている。
椅子に腰掛け、うさんくさそうな目線を、ソファに並んで座るふたりの少女――春といろはに向ける。
「それで何だって? 伝説クラスの牛タンのありかを知りたい?」
「は、はい」
「そうなのです」
春が消え入りそうな声を出し、いろはがのほほんと答えた。
女性は何とも言えなさそうな複雑そうな表情をすると、その柳眉を少しだけ上げてみせて口を開く。
「そりゃ、私は牛タン好きだし、市に頼まれて牛タン推進委員会にも入ってるけどね。だからってそんな食材の場所とか知っているわけじゃないよ」
「……そんなお名前なのに?」
「……それは偶然なんだって」
いろはに名前を指摘されてややふくれた彼女は、やはり普通の人間ではなかった。
異世界からやってきたサキュバス。名前を「ぎゅうたん」と言う。家が近くもあって、春やいろはとは顔見知りであった。
その名前と、異界の美とも言うべき容貌に目をつけた市の観光協会が、彼女を牛タン推進委員会に所属するよう頼んだのは、彼女の言う通りである。
確かに牛タンは嫌いではないが、別に自分で研究してより美味いものを、とか考えているわけではない。
「だから、私に食材のことを聞くのは、正直お門違いだと思うけどね」
「そんな」
しごく残念そうに春がうめいた。その手は注文していた紅茶にのび、砂糖とミルクを入れ始める。
いろはの顔色が変わった。
「あ、春さん! ダメです、ここで気を抜いては!」
「え……あ、ああっ!」
春が叫んだのもむべなるかな。
彼女の紅茶はかき混ぜるうちに緑に変色し、こぽこぽと謎の気泡が泡立つようになったのだ。
「……味を調えただけで、謎の化学物質に変化するんだ。そこまで料理下手なんだ。へぇ」
ぎゅうたんは半ば感心したように言って、少し遠い目をした。彼女に料理を食べさせられた、バハムートに同情したのである。
うつむく春の方を見ると、諭すように――落ち込んでいる同性はどうも無下に扱えない――言った。
「ねぇ、料理ができなくても死にはしないんだからさ。もう調理は諦めて、バハムートには出来合のものを食べさせた方がいいんじゃないの?」
その言葉に、思わずいろはが「賛成」と声を上げかけた時。
ふと、春が顔を上げて、ソファから立ち上がった。
「だ、ダメです、そんなの!」
「……え?」
「私は、バハムートさんと『契約』した『召喚者』なんです。責務は果たさなければなりません。そんな、出来合の料理なんて愛情と責任がない…………ペットは玩具じゃないんです、大事な家族なんですよ!」
「……春さんがうちの父さまをどう思っているのか、よくわかりました」
「え? あ、ち、違うよ! 今のはものの例えで、その……」
言い訳を受けてもなお、いろはの視線が春に対してやや冷ややかだが、自分の身内が愛玩動物扱いされては仕方あるまい。
そんなふたりを苦笑を浮かべてぎゅうたんは見ていたが、何気なく窓の外に目を向ける。
ふと、何かに気づいたように表情を変えた。
「あ、そうだ……牛タンの心当たり、あるかもしれないよ」
「「え?」」
春といろはが、きょとんと彼女の方を向く。
ぎゅうたんは、よほど自分のアイデアに自信があるらしく、にやにやと笑みを浮かべていたが、
「タダじゃ教えられないね」
「……いくら払えばいいんですか?」
「お金はいらないよ。その代わり、いつもみたいにそっちの学校の男子生徒を紹介して。大丈夫、ちょっと味見するだけだから」
舌なめずりする彼女に、春といろはは「はぁ」と生返事しかできない。
ぎゅうたんの言う「味見」がどういう意味なのか、彼女たちにはまだ理解できないのだ。
ただ、紹介した男子生徒たちが漏れなく幸せそうな顔つきで帰ってきているので、別に悪いことではないのだろうと思っている。
「わかりました、今度紹介します」
「……そ、それで、その牛タンはどこにあるんですか?」
「あそこだよ」
ぎゅうたんが親指を向けた方角、窓越しの向こう側に、大きな建造物が見えた。
それを見て、春もいろはも顔をしかめる。
「あれって、確か……」
「ダンジョンですね」
「そう、あのダンジョンの中に最高の舌を持つ牛がいるって噂なんだよ」
ぎゅうたんは得意げに言うと、コーヒーを一口すすってから、付け加えた。
「ただし、モンスターの牛だけどね」