「……それで、そのアルバイトさえ完遂すれば、ちゃんとした報酬が手にはいるそうです。しかも結構な額が」
智恵子はダイニングルームで、夕飯を食べながらつぶやいた。
ちらり、と右手を見る。
そこに立っている菊人形たちは、手にプラカードを持ったまま、動揺したように体を震わせた。
智恵子は淡々と言葉を続ける。
「逆に言えば、アルバイトが完遂しなければ報酬も手に入らず、あなたたちの境遇も今のままということなのですよ」
智恵子はそう言うと、白飯を口に運ぶ。
菊人形たちは顔を見合わせると、どよどよと声にならない声を上げた。実際に声が出るわけではないので、雰囲気だが。
ここで箸を置くと、彼女は人形たちをじっと見つめた。
慎ましやかな胸の下で、腕を組む。
「なので、提案します。私がアルバイトを終えるまで、ストライキは一時お預けとしてくれませんか。もしもこれが終わった後、まともな菊を用意しなければ、存分にストに戻ってください」
今日の彼女の夕食は、野菜炒めだった。決して刺身ではない――少なくとも食用菊は机の上に乗っていない。
このことが、説得の材料になったかどうか。
人形たちはもう一度顔を見合わせると、決意したようにうなずき、プラカードを投げ捨てたのであった。
それから三日後のこと。
「いやぁ、助かったよ!」
頭がはげ上がったその初老の男は、手を打ち合わせて呵々大笑とした。
休日の二本松市、観光地の一つである霞が城公園の入り口である。
私服たる純白のワンピースを着た智恵子は、その男――三つ編み同級生の父親を前に、一礼をした。
「私などで、力になれるのであれば」
「なるなる! むしろ君しかいないと、娘から話を聞いていて思ったのだよ! 菊人形を自在に操ることができるんだって?」
「ええ、はい」
その言葉にうなずくと、智恵子は片手を上げてみせる。
呼応するかのようにどこからともなく小さな影が複数飛び出した。
背中に、銀色の糸を引きずって。
それは間違いなく彼女の菊人形だった。各々が地面に立ち、ポーズを決めてみせる。
数は数十を超えていて、三つ編み娘の父親は、その壮観に目を輝かせた。
「おお、これは凄い! これだけの数を一気に、しかも個別に操れるとは!」
「お褒めいただき恐縮です」
ちっとも恐縮していないような無表情で、智恵子は答えた。
だが、男は彼女の言葉も気にしないように豪放磊落に笑うと、その背中を叩いた。
「いやぁ、これならいける、いけるよ!」
「……セクハラになりますよ?」
顔をしかめて指摘され、慌てて一歩下がった。さすがに娘の友人にそう言われては、気まずいらしい。
咳払いをすると、話を本題に切り替えた。
「君に頼みたいことは一つだ。娘から話は聞いていると思うが、どうかね。二本松智恵子くん」
「ええ、聞いていますよ……二本松市観光協会会長さん」
智恵子も少し声色を改めた。わざわざ役職名を述べたのは、ビジネスの話に入ったという宣言である。
会長はうなずくと、少し表情を曇らせて霞が城公園の方を振り返った。
「現在、二本松市は観光事業に関してやや遅れを取っている……それというのも、他の地域に比べて『ゲート』が少ないからだ」
「つまり、名物となるタワーやダンジョンが少ない、ということですね」
「その通り。異世界からはみ出した建造物は、ある程度安全が確保されれば観光名所にも使われる。だが、今のところ二本松市にはそれがないのだよ」
「ゲート」によって通じた異世界からは、時々その空間がこちらにはみ出すことがある。
タワーやダンジョンといった遺跡であることが多いのだが、これらは安全が確保されれば名物として観光客に公開されることも多い。東北が異世界の観光地と呼ばれる由縁だ。
ちなみに、これら遺跡は安全が確保されるまでは地方自治体が責任を持って管理することが多いのだが、市民の中には無断で中の探索を行う者もいて、自治体としては少し手を焼いている。
閑話休題。二本松市にはその名所となるべき遺跡が少ない。他と比べて観光地として決してひけは取らないのだが、どうしても差がつけられていくのが現状なのである。
「我々も色々な手段を講じたよ。名物B級グルメを考案したり、ご当地ゆるキャラマスコット『菊麿くん』でショーを行ってみたり。だが、どれも今一だった」
「はぁ」
「そこで目をつけたのが、二本松市名物である菊人形を自在に操る君だ」
ここでもう一つ咳払いをし、観光協会会長は大仰しく両腕を広げてみせた。
「二本松智恵子くん。君には、人形劇をして欲しいのだよ!」
「人形劇、ですか」
オウム返しにつぶやいた智恵子だったが、同級生からすでにその辺の話は聞いてある。今のは事実確認に過ぎない。
彼女は、ふと右手の親指を一つ動かした。
それだけで、数体の人形がまったくバラバラの方向に動き、なおかつ違うポーズを取る。
「確かに私なら、この子たちを自在に操って人形劇をこなすことも可能です。裏方さえ用意してくれれば、後は一人でできるでしょう」
「そうだろう、そうだろう。つまり人件費がかからないというわけで……おっと」
うっかり口を滑らせそうになって、会長は両手で押さえた。
「ともあれ、君のような可愛らしい女学生が、人形を一人で操り人形劇をする。これだけでも充分話題は見込めるのだよ」
「それは……お世辞でも悪い気はしませんね」
「お世辞なんかではないよ、心からそう思っているさ。それにこの人形劇にはもう一つ目論見があってね、子供に受けるのではないかと思うんだ」
「子供ですか?」
「そうだ、家族連れの観光客が、一番旨みがある。この家族連れをゲットするには、子供の心を掴む必要があるのだ……休日のお父さんが子供に弱いのはわかるだろう?」
「はぁ」
よくわかりません、と続けたかった智恵子だが、何となく空気を読んで口をつぐんだ。
会長の目が遠くを向いている。彼も昔は家族サービスに苦労した方なのだろう。
「とにかく、人形劇のイベントは試してみる価値はあると思う。協力してくれるね」
「わかりました」
「では、早速劇の題目を決めなければならないのだが……」
「あ、それなら」
智恵子が手のひらを会長の方に向け、提げていたトートバッグからファイルを一冊取りだした。
「娘さんに打診を受けた後、自分なりにオリジナル劇を作ってみました。この町を象徴する題材で作っています」
「ほう……どれどれ」
会長は感心して言うと、ファイルを受け取り、挟んであるコピー用紙に目を通した。
『昔々、ある野原に、一本の大きな菊が生えていました。その菊は大層大きく、やがて花を咲かせましたが、その中に玉のように美しい娘が眠っておりました』
物語の出だしを見て、ふむふむと会長はうなずいた。
なるほど、二本松町の名物である菊を使っている。幻想的な出だしもグッドだ。
『その美しい娘は近所に住む武家に拾われ、菊花姫と呼ばれ大切に育てられました。やがて年頃になった娘は、その美しさから、たちまち周囲の評判となりました』
悪くない展開だ。恐らく、この後この姫が何かのハプニングに巻き込まれるのだろうと会長は予測する。
『しかし、その評判があまりにも広まりすぎて、海を越えた島にいる鬼たちにまで届いてしまいました。鬼たちは武家を襲い、菊花姫をさらってしまいました』
王道だが、なかなか良いぞ。予想が当たった満足感も手伝い、会長は再度うなずいた。
『武家に使える若い侍たちは、彼らの武士道に従い、勇敢にも菊花姫を救おうと立ち上がりました。しかし、鬼たちは大変強力な存在。しかも、要塞のように強固な島に住んでいるので、容易に攻め込めません』
要塞という言葉が少し引っかかったが、現代の子供にはこれくらいの方がわかりやすいだろう。まだ許容範囲内だ。
オリジナル劇の結構なできばえに、会長は機嫌良くうなずく。
『そこで、侍たちは一つの計画を打ち立てました。それは、海底に眠る船を引き上げ、改修して乗り込み、島に攻め入るというものです――海底の船、すなわち「戦艦大和」を』
なるほど、と会長はうなずき――
「……って、ちょっと待てぇ!?」
「何でしょう?」
首を傾げる智恵子に、食ってかかった。
「いや、何でしょうじゃないでしょう!? 何でいきなり『戦艦大和』が出てくるの!? しかもどこかで聞いた展開だし!」
大声でツッコミを入れる会長に、しかし智恵子は意外そうな目を向けると、
「知らないんですか?」
「……え、何を」
「『戦艦大和』の舳先には、菊花紋章が飾られているんですよ」
「だから何だぁあああ!」
少しドヤッとした顔で語る彼女に、会長は再度声を荒げた。
いくら菊があっても、さすがに二本松市と「戦艦大和」には何の関係もない。
「……ちなみに聞くけど、この先の展開はどうなるの?」
紙面に目を走らせる気も失せて、直接智恵子に聞くことにする。
智恵子はうなずくと、答えた。
「この後、侍たちは鬼たちが住む島に乗り込み、『大和』の援護射撃もあって難なく敵を倒していきます」
「……それ、侍の活躍はほぼ皆無なんじゃ」
「しかし、島の奥には巨大で怪力無双な鬼の首領がいて、しかも『大和』の砲撃は届かないため、侍たちはピンチになるのです」
「お、一応見せ場らしいものはあるのか」
「……ですが、侍たちは幸いにもサブマシンガンや手榴弾で武装していたので、距離を取って的確に集中砲火をし、鬼の首領が近づく前に倒しました」
「武士道は!? ていうか、今さらだけど時代考証がめちゃくちゃだよ!? しかも、ピンチはあっさり覆ってるし!」
これでは、劇どころか物語にもならないではないか。
半眼で訴えてくる会長に、しかし智恵子は自信ありげにうなずいた。
「大丈夫です、首領を倒した後、とびっきりのエンディングを用意してありますから……最後のページだけ読んでみてください」
「……どれどれ?」
半信半疑で会長は言われた通りにページをめくる。
そこにはこう書かれてあった。
『侍たちは菊花姫を助け出しましたが、彼女は鬼の首領の近くにいたのでやはり全身が蜂の巣になっていました……彼らは顔を見合わせると、肩をすくめてシニカルに笑ってみせるのでした。めでたしめでたし』
「めでたくないわぁあああ!」
思わず地面にファイルを叩きつける。
それから憤りを抑えるため、数回深呼吸をしていたが、やがて不服そうにファイルを拾う智恵子にくってかかった。
「何だ、この何も残らないエンディングは! バッドエンドじゃないか!」
「侍たちは笑っているので、ある意味ハッピーエンドですよ」
「ブラックジョークでハッピーになれるかぁ! そもそもこの劇、良かったのは出だしだけで、途中からは完全に支離滅裂だろう!」
「……それでも、これくらい砕けた方が、子供には受けがいいと思うんですけどね」
そう指摘された瞬間、ぴた、と会長の勢いが止まる。
彼にとって、聞き逃せないキーワードがあったからだ。
「子供受けがいい?」
「はい。自分が子供の頃を思い出してください。固いだけの物語よりも、荒唐無稽な滑稽話の方を好んだはずです」
「それは確かにそうだが……君は、そこまで考えてこの物語を作ったというのか?」
「ええ」
胸の中で「そこまで考えていませんでした」と続け、智恵子は微笑んでみせる。
だが、会長はそれで感心したらしく、うーむとうなると、
「確かに子供のことを考えるなら、退屈するような芸術作品を選ぶよりは、笑って友達同士の話題になるような娯楽作品を提供した方がいいのか」
納得したようにつぶやいた。よほど、子供好きな性格らしい。
会長はやがて、手を一つ打ち鳴らした。
「よし、二本松さん。その物語を採用しよう」
「そうですか、それは子供のことを思って作った甲斐がありました。大変嬉しいです」
心にもないことを言って、智恵子は胸中で舌を出した。
それから、微笑をより親愛に満ちたものに変えて、会長に尋ねる。
「では、脚本家としての報酬も私がいただくということで、問題ありませんね?」
「う……まぁ、いいだろう」
「ありがとうございます」
今度は本心からの礼だった。彼女は一銭でも多く金を稼ぐつもりで、そのためにこの脚本を作ってきたのだ。
(とりあえず、ここまでは予定通りですね)
智恵子はぼんやりとそう考えると、今後のスケジュールを決めるべく、会長に打ち合わせを申し出るのであった。
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