とある休日の昼下がり。
「だから、問題外だと言うんだ!」
抜けるような青空に、身を震わせるような怒号が鳴り響いた。
声の主を目線で追ってみれば、通行人は「ああ」と納得を一つするだろう。
全長10メートルの、巨大な生物。
造形はは虫類のような生々しさを備えつつ、輝く鱗が陽光を跳ね返すさまは神秘的な雰囲気を放っている。
コウモリのような薄い皮膜を張った翼は大きく、その体を空に浮かばせて自在に飛び回らせるに充分な説得力があった。
竜――ドラゴン。
この仙台の町では、珍しいといえば珍しいが、さほど存在が不可解でもないファンタジーの生物であった。
見よ、大地を見下ろすその雄々しき姿を。
――しかし、現段階で彼はその威厳を少しばかり欠いていた。
それは主に彼の視線の先にある対象であり、今しがた彼が叫んだ相手のせいだった。
「そ、そんなことないもん」
対象は、頬を膨らませながらも、消え入りそうな頼りない声で叫んだ。
ひとりの女の子である。
ブラウスにスカートと、カジュアルとフォーマルの中間な格好の上に、フリルのついたエプロンを身につけている。
清楚な初々しさを感じさせるスタイルだが、本体の方はそれがかすんでしまうくらいに可愛らしかった。
大きくくりくりとした目、人形のように整った顔、絹のように滑らかな髪、どれをとっても世の男が放っておかないだろう。
やや幼い体型と、少し気の弱そうな表情ががマイナスをつけるかもしれないが、それらも人によりけりだ。
しかし彼女の愛らしさを誇る相貌も、今は少し歪んでいて、本来の魅力を発揮できずにいた。
「ちゃ、ちゃんと食べたら美味しいんだよ。バハムートさん、贅沢言い過ぎだよぉ」
「俺、これでも竜族の中じゃ好き嫌いない方なんだがな……」
バハムートさんと呼ばれた竜が、頭を痛そうに前足で叩きながらうめく。
やがて、彼は視線をずらした。
大きな寸胴鍋が、置いてある。
ここは少女の家の庭にあたるところだが、家屋も敷地も結構な広さがある。
全長10メートルの彼がその身を置けるところからも、それは明らかだ。
そんな庭の中央に寸胴鍋がぽつんと置いてあるのもシュールだが、問題はその中身だ。
色が紫色の液体が、ぐつぐつと煮えたまま入っている。しかも低温状態で沸騰できる液体なのか、湯気も立っていなかった。
それを片手で指し示すと、少女は哀願するように竜に告げるのであった。
「ねぇ、お願いだから食べてみてよ……美味しいと思うよ、このビーフシチュー」
「……どこの世界にこんな妙な化学反応起こしていそうなシチューがあるんだ! そんなもん、竜も食わねぇよ!」
竜はごもっともな意見で再び空気を震わせると、翼を広げて何処かへと去ってしまった。
それを見送ると、少女は一つため息を吐いてから、怒りとも悲しみともつかない声を漏らすのであった。
涙目で、一言。
「……うー」
東北は人知を越えた観光地となった。
異世界へと通じる「異界ゲート」が出没し、異形の存在――「超越存在」が現れるようになったのだ。
人間は「超越存在」に理解を示し、「超越存在」も人間を理解しようとしている。ただし、「超越存在」は上から目線で人類を見下ろしてはいるのだが。
その結果が観光事業に繋がっているのだから、人類もしたたかと言えばしたたかである。
「ようこそ東北へ。異世界との遭遇が貴方を待っています」
このキャッチフレーズは、あっという間に日本中へと広まっていった。
また、人類は観光の他にも、「超越存在」を利用する方法を見いだした。「契約」をかわすことで召喚するというものである。
この召喚を行う者は「召喚者」と呼ばれ、彼らの存在は、この世界における一つの戦力として注目されていた。
北で戦乱を起こしている英傑たちですら、「召喚者」には注目しているらしい。
中でも、最強のドラゴンである「独眼竜バハムート」と、その「召喚者」の「保島春」は、油断ならぬコンビとして噂されていた。
しかし、英傑たちは知る由もない。
この最強の竜と「召喚者」が、休日にシチューの内容で喧嘩していることを。
特に春はまだ学生で、精神的にもあどけない少女のそれを脱していないどころか、弱気な性格が災いして大人しいほどだ。
ただ一つ、彼女が英傑に一目置かれる部分があるとするならば――それは。
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