ISのコンサートホール、サッカー場、レストラン攻撃によって、百人以上の死者が出た。その後も、航空機への脅迫が継続している。
こうした事態をうけて、我が国はどうすればよいであろうか。
まず、ISは最近戦略変換を行っている。
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従来の、イラク・シリアでの支配地域拡大からISを攻撃する有志連合国への攻撃姿勢を強めている。
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かつ攻撃の対象は軍事拠点ではなく、警備がうすく、多くの人の集まる、劇場、スポーツ競技場、博物館等んpソフト・ターゲットと呼ばれる施設への攻撃を強化している。
イスラム教の特徴に
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攻撃されたら徹底的に戦え、
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退却したら追うな
がある。
フランス等に対する戦いは①の範疇に入る。
次いで、我々はテロとの戦いを行ってきた中で、決してテロ組織を撲滅できなかっただけでなく、逆にテロ組織を強大化させ、彼らの攻撃の殺傷力を高い方向に向かわせた。
すでにブログで紹介
コメント
コメントを書く(ID:9443972)
>>10
>米国とロシアが、シリアに干渉を深めるのでなく、和解の道を切り
>開く努力をすべきでしょう。
ご指摘の通りだと思います。
しかし、その件については、すでに両国の間で合意が進んでいます。
11月16日の記事で、younghopeさんご自身が投稿なされた
と思われますが・・。
>読売、オンラインによると、ロシア主導で、シリア和平工程表を
>合意したようだ。アサド政権と反体制派の交渉を年内に開始し、
>18か月以内に民主選挙を実施するということである。
>シリア内線解決を目指し、ウィーンで20か国、期間が参加して
>行われたと伝えている。10月末に、ロシアが提案したようであり、
>今回のフランステロで一気に交渉促進の雰囲気ができたのでしょう。
>うれしい情報です。
また、仰るとおり、米国とロシアには双方に責任があることは
事実でしょう。国際社会はこの件を追及しなければならない。
但し、今それを問題にしたところで、シリア問題、イスラム国問題が
解決するわけではありません。
すでに述べましたが、私は「優先順位」についての話をしております。
「イスラム国(過激主義者)との和解」と、「シリアおよびイラクの
国土の奪還・治安維持の実現」は、両立できません。
従って、優先順位をつけてこれに対応するしかない。
少々過激な表現になってしまいましたが、「現実を直視すべき」
といった意味で投稿させて頂きました。
但し、上記の優先順位のパラドックスを解決できる上手い手段が
ある場合は、この限りではありません。
(ID:9443972)
困ったことだ。
当然ながら、我が国が本来責任のないテロとの戦いに
関与することがあってはなりませんが。
なんでもかんでも、ヒステリックに軍事介入・武力行使に
反対すれば良いというわけではありません。
それは時と場合による。
断言しておきますが、シリアのイスラム国問題は、
軍事介入なしには、絶対に解決できない。
紛争が終わる時、それは無政府状態になった時だけだ。
それまでに途方もない数の命が犠牲になる。
勿論、軍事力だけでも問題は解決はできませんが、それは
武力行使の必要性がある程度まで減少した段階での話し。
私は現実的なことしか言うつもりはありません。
また、どこかの国の主張に肩入れするつもりもありません。
純粋に、ロシアの取っているアプローチが最も現実的であり、
最もシリアおよび中東、欧米における犠牲が少ないであろう
選択肢だと考えるから支持しているだけに過ぎません。
外国軍が軍事介入を全く行わない場合、シリア政権は崩壊、
テロが拡散し、中東全土へ波及し、最悪の状況を招く。
あまり固定観念に縛られず、ご再考をお願いしたい。
(ID:11773811)
孫崎さんは、このテロ戦争で誰が儲けたか、先日のTWで明確に述べている。客観的な指摘であり、現在の問題の急所だ。この指摘は、孫崎さんがこの利益共同体に対して批判的な立場であることを示している。庶民の立場に立てば当然の立脚地だ。
公的に意味ある分析や見解は、表現者が自らの立脚地、視点を明確にできる能力とつりあっている。だから、こうして公的なサイトに見解を披露し、多くの人たちが参考にするために閲覧する価値がある。
意見や分析の違いは、
(1)根本的な立脚地が異なる。
あるいは
(2)事実認識が異なる。
あるいは、
(3)解釈が異なる。
などによって生じる。
意見や分析が異なる時には、なぜそうなるのかを考えるべきだ。
tako2008にはそれがゼロである。人の考えをいきなり否定している。議論をするためには最低限のルールやマナーというものがある。人の見解を「寝ぼけ」は許されない。目の前の人間にこれを言ったらどうだ。殴られても仕方あるまい。
だいたい孫崎さんのコメントに常連で書いている人たちは、冷静で、勉強家の人が多い。
younghope氏などは、懇切丁寧に議論の相手をしてまことに立派な態度だと思う。ネットを通じて、不安な現状を分析し、少しでも未来の可能性を探ろうとする真摯な思いが伝わってくる。
それに対してtako2008の執拗な食い下がりは、他者の思考への敬意がなく、思い上がりの不遜さが全面に出て、読む者に拒否反応をもおよさせる。こういう知的な交通がなされる場に出て来るだけのコミュニケーションができず、結果として場を荒らすことになり、良心的なコメンテーターの出番を邪魔している。
私もtako氏が登場してい以来、孫崎さんのコメントを読むのが億劫になっている。飛ばして読めばいいじゃないか、ということにはならない。tako氏の登場により、他のコメンテーターが枝葉末節な論点に流れ、議論がひきづられている。
議論は自由にしてよいが、共同性というものが存在するのであり、ネットワークの空間はこの共同性の構築に寄与するためにある。