1:集団的自衛権の本質は、自衛隊を米国戦略のために使う制度である。
この点、極めて明確な説明をしているのが宮崎礼壹元内閣法制局長官である。彼は雑誌『世界』の昨年八月号で、「集団的自衛権の本質は「他国防衛」である、集団的自衛権も「自衛権」というから、各国の持つ自己防衛権の一種ではないか、と考えてしまう人が多い。、違う。自衛権と名前はついているけれども、「自己防衛の権利」である「個別的自衛権」とは定義からしても、実態からみても、異質である」と述べられている。
2:集団的自衛権で行うことは。「他国防衛」、つまりは、自衛隊を米国戦略に使うということである。
それは、米国の戦闘行為に参加することと同じである。
「後方支援であって戦闘行為でない」との説明がなされているが、武器弾薬、兵員の輸送は戦闘時の重要な部分であり、当然敵対勢力はこれを攻撃する。後方支援を請け負った以上、攻撃されること
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
孫崎先生のお見立てにほぼ全面的に賛同します。愚劣極まるアベ政権を選んでしまった日本国民がすべて悪いのです。
でも、もはやどうしようもありません。7月16日には衆院本会議で安保法案は可決され、おそらく参院をすっ飛ばして
60日後に衆院で3分の2以上の多数で再可決。本法案の可決成立を阻止するすべはありません。
その後は、わが自衛隊は米軍のためにいいように利用されるだけ。
もし、尖閣等で中国と衝突が起きても米軍はそ知らぬ顔。長年、沖縄基地を米軍に提供し、おまけに多額のお金を出し、いったい日本はいままで何をしていたのかと嘆いてももう遅い。悔しいけど、それが現実でしょう。
愚かな指導者しか持てなかった日本国民が愚かだったということか。
>「“国でも個人の関係でもそうだが、相手が自分と比べてあらゆる面で一段と上だと、とても付き合いにくい。...裸で米国と1対1で付き合わなければならない。そこで恐怖心に駆られる」
正直な本音でしょうが、これが国民の命運を背にした立場の人間が吐く言葉とは、情けないの一言に尽きます。
「あらゆる面で一段上」だろうが、国民との一体感があれば踏ん張れるというものでしょう。
しかし、こうした輩たちは国民をブロイラーとしか思っていないのだから、直ぐにケツ捲るしかない哀しさ。
> いったん戦闘が始まれば容易に核戦争にまで発展し、各々が消滅してしまう事態にエスカレートする危険性を持つ。
いつだったか、朝ナマで孫崎さんが、日本に向けられる圧倒的な中国のミサイルに対して具体的にどう守るのか問うた時、森本某やらヒゲの佐藤議員らは気色ばむばかりで 何らまともに答えませんでした。
日本を軍事行動に誘導する話が出てくる時は毎度そうです。新型インフルだ、パンデミックだと騒ぐ場合は盛んにシミュレーションを流し「想定死者数60万人!」などと報じるくせに、日本が何処かと交戦状態に至った場合、それがどのような経過を辿り、どんな結末が想定されるのか、パターンは一通りでないにせよ、まったく論じられない、報じられないとは、おかしくないですか。
まあ、報じるわけがないのは自明ですが。
少し議論はずれるのかもしれませんが。
集団的自衛権は、最初の発動からして大国による小国への軍事介入の口実とされてきました。
古くはワルシャワへの軍事介入から最近ではニカラグアへの軍事侵攻など。
それに懲りた国際社会は国際司法裁判所において、集団的自衛権の発動要件を厳格化しました。
よく集団的自衛権は国際的に認められていると言い張りますが、まずこうした要件が課せれられていることに
言及する方を見たことがありません。
そしてさまざまな事態があがっていますが、これらの事態により自衛隊による武力行使が、この集団的自衛権
行使の要件に適合するのかどうか、まったくといっていいほど議論されていません。
このことが気になります。
(ID:18367902)
米国の憲法による戦力封じ込み政策と、日米安保による戦力供給システムの構築は、明確な米国による米国のための軍事政策であり、日本人にとっては、大きな矛盾に満ちたものでしかない。平和国家として、この矛盾を乗り越えるには、「専守防衛」しか選択余地がないのであるが、安倍政権のように、「テロとの戦い宣言」で明確化したように、好戦的政権であると、米国の意志が、日本の意志となってしまう。スケールの違いも分からず、軍事面だけでなく、経済面までODA支援で中国に対抗意識をむき出しにしている姿を見ると、未熟な幼稚なガキの姿を見ているようである。己と相手が全く見えないと、無謀ということもわからない。人の意見など聞こえない、聞かないのでしょう。