秋が歩いてくる、風の無謬の足で
すすきの湿原を、すすきの隙間を
早すぎる秋を出迎えるつもりで
私たちも無言で歩いていた
狭い、狭い木の道を行けば遠い山の姿が見える
高い、高いすすきの影に快活な知識をもつトンボが乱舞する
物陰に潜むのはどんな日の生者たちか
ここで氷を割ったのかい
石を焼いたのかい
どんな季節のオレンジ色の太陽やどんな雨雲の下で
歌があったの
笛と弦を知っていたの
群れなす鳥を捕ったの
すすきが隠す古い旋律には耳が届かないけれど
ざわめく雲のような希望を捨てることはない
私はきみたちに語りかける
小さな森を探そう、極小の森でいい
兎がいなくてもいい、フクロウの姿が見えなくても
ここは生命が死に移行する地帯
死がたくさんの生命を芽吹かせる場所
菌類が最終的に支配し
環形動物がせっせと働く森では
絶えずかたちが組み替えられ
絶えず色彩と動きが変わる
だがすべてが結局はひとつの
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コメント
私は文学とかはサッパリです。
何かの謎かけ・・??
前回の記事のコメントに、米中対立とこれからのアジアにおける
日本の役割にについて私の主張を投稿しました。
事象分析は大切ですが、事後論だけではなく、時には先行した
ビジョンを示されることも大切なことかと思います。
あるべき道を示すことが、時には誤った道を否定するのに
十分な論拠となることもあります。
とても心豊かになるような不思議な感性の作品.自然科学の感性で心ゆくまで生物の営み過ぎゆく時間と変わらぬ自然の豊かさ雄大さを感じている.この感覚良くわかります.リンク先ホームページの,アジアに近い中東地域のようなイラスト上に浮かぶこの作品に,また格別の風情が味わえます.欲望むき出し愚かな現代の朝のひとときの心の旅.(2015年5月29日)
我々現代人は、詩の世界には真実があるかもしれないが、現実にまったく役に立たない遊びであり、政治の世界は自分たちの生活に関わる重要な問題だと考えている。自分の人生を考えるに、いつからそういう現在的な思考に浸食され始めたのかを思い起こしてみると、やはり人生の中で詩の世界で遊んでいるような意識で生きてきて痛い目にあったことと関連している。回りがすべて現代的な思考であり、詩の世界は現実には許容されないという環境が、どんどん詩の世界をある種の牢獄の中に押し込めている。これが正しい選択だったのかどうか、本当はもう一度深く考えなくてはいけない。けれど現実にはそんな余裕がある人は少ないのだ。
ただ思うのは人間の社会はいつも人間の意識の反映だ。それを変えたければ人間の意識を変えなければならない。変わるためには現代の意識の中で悠然と生きる詩の世界が、それを維持できる意識が必要だ。それがどんな形をしているのか、たくさんの人が探し始めたということなのだろうか?そしてそれがエンデのいう第三次世界大戦だ。
(ID:19005377)
人間の横暴、いや、傲慢、いや、際限なき欲望、何とかしなくちゃという警告、みたいなものをこの詩から感じるんです。