9日共同「安倍内閣の支持率は47・6%と、前回11月より10・3ポイント急落し、第2次安倍内閣発足以来、初めて50%を割った。不支持率は38・4%」
読売なので、支持率全体は捜査の可能性がある。従って、変化だけを見ることにした。凄い落ち込みである。。9日読売「安倍内閣の支持率は、前回(11月8~10日)から9ポイント下落し、昨年12月の内閣発足以来、最も低い。不支持率は前回から15ポイント上昇」
安倍首相は完全に狼狽している。
安倍首相は9日夜、官邸で記者会見で「今後も国民の懸念を払拭すべく、丁寧に説明していく」と述べているが、こうした漠然とした言葉に誤魔化されるのは止めようではないか。
法律は説明の問題ではない。根本的問題を有している。
9日毎日新聞掲載の「重大な欠陥」次のとおり。
1:恣意的で膨大な秘密指定
全行政機関に指定の権限がある
指定4分野は拡大解釈が容易
首相
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コメント
>>12
yukkoさんのご質問にお答えします。『「目をつけられる行動」とはどんな行動』とは、文字どうり、公安警察が興味を持つような(すなわち彼らの基準に従い公共の秩序安全にとって危害を加えるもの、あるいはその可能性があると彼らが考えるような)行動です。私は公安警察がどういう基準を持っているかについては知りませんので、それ以上のことはお答えできません。「「それ以前」の「それ」は何をさしています』かというご質問は、文脈の理解力が足りないゆえのご質問とおもいますが、「それ」がデモを意味すことは明白だと信じます。『「あるリスト」とはどんなリスト』というご質問については「ある」とは「不特定の」(英語で言えばa certainに相当します)という意味であることは文脈からしてあきらかであると信じます。この程度のことが読みとれないようなお方との会話は今回限りにして頂きたいと存じます。
孫崎さんが懸念している5項目のうち、最初の4項目については、確かに具体的な内容が決まっていない項目なので、孫崎さんの懸念に反対・賛成いずれの意見も申しませんが、これも国民が最近よく口にする、わからないから、「不安」であるというカテゴリーに属するものと理解します。いっぽう、第5項の「国民の知る権利」と言う言葉には、納得できません。「国民の知る権利」とは何を意味していますか。私たちは明らかに他人の私事について知る「権利」はありませんよね。これは日本人が最近よく口にする「プライベート」のことです(ちなみに英語のprivateは形容詞ですから、名詞として使用するときははprivacyでなければなりません)。従って、国家という法人も、プライバシーが存在するのは当然です。すなわち、日本国民だからと言って、日本国という法人の全てを知る権利があるというのは、合点がいきません。国家と言う法人は日本国民の総意によって成立しているものと仮定すれば、当該法人の存立を脅かす者に対して、防衛上である範囲の情報はたとえ日本国民であっても、特に許された者(有資格者)以外の者は知ることはできないと規定しても何も不都合はありません。たとえば、会社と言う法人には特有な秘密があり、その会社の会社員全員がそれを知る権利があるというような馬鹿げたことを口にする人はいませんよね。さすれば、日本国という、会社よりもっともっと重要な法人に秘匿すべき秘密があるのは当然であり、それを国民ならだれでも知る権利があるなんて言うのは、全くの大バカ者と言うしかありません。
oldjapさん、ありがとうございました。理解できました。
(ID:2197362)
論点がわかりやすくまとめられていますね。「騙されたふり」という言葉が印象的で、問題の困難さを思います。
理想と現実の間で心が引き裂かれるのは多分皆共通の問題と思いますが、孫崎さんのように毅然として我が信念に従っている姿をみると勇気がわいてくる気持ちはあります。失礼かもしれませんが、「日本のインテリジェンス」にしてはあまりに率直な物言いで、随分損をしておられませんか?ある程度人を説得する戦略もあってもいいのではないでしょうか?分析も主張も正論だとは思いますが、人の感情はなかなか正論では説得できない部分もあるように思います。
僕にもいつまでも信じていたい人はいます。でも問題の困難さや置かれた立場を思うと、現実的に考えないといけないという覚めた視点もあります。いつも二つの視点が同居しているというのは僕も同じです。believeという言葉は愛するという言葉から派生した言葉のようですね。無神論の世の中ではなかなか通りにくい概念なのかも知れません。
孫崎さんは「それでもなお」やっておられます。どうして?と言う問いを超えて行動できるその姿こそ、人間の生きる意味だと僕も信じていたいです。