『日本の「情報と外交」』
(PHP新書)は12月16日発売予定である。新書版に寄せて記述したのは次のとおりである。

 いま日本は、中国への対応をめぐって、きわめて厳しい岐路に立たされている。その最も先鋭化した課題が「尖閣問題」だ。尖閣問題をたんに島の領有権をめぐる争いととらえては近視眼的に過ぎるだろう。なぜなら、この問題には、大国化する中国に対して今後日本がどのように対峙していくべきかという根本問題が含まれているからだ。

 尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生した二〇一〇年九月七日以降、尖閣をめぐっては国内でも中国でもいろいろな動きが生じた。これら一連の動きも含めて「尖閣問題」と呼ぶならば、尖閣問題は、外交関係において情報の取り扱い方がいかに難しく、かつ重要であるかを知らしめた、といえるだろう。

 端的な例として、丹羽宇一郎駐中国大使(当時)の発言をめぐる顛末をふり返ってみよう。丹羽大使は、石原慎太郎都知事(当時)が進めていた都による尖閣諸島購入計画について、英紙『フィナンシャル・タイムズ』(二〇一二年六月七日)のインタビューに応え、こう述べた。

 「実行されれば日中関係に重大な危機をもたらすことになる」

 この発言は、政府、与党、野党、マスコミから集中砲火ともいうべき激しいバッシングを浴びた。その結果、藤村修官房長官(当時)が七月七日の記者会見で、「あれは個人的見解で政府の立場を表明したものではない」と釈明するに至る。そして最終的に、丹羽大使は更迭された。

丹羽駐中国大使の判断は正しかった。

 では、その後、尖閣問題はどのように推移していったであろうか。

 日本政府が九月一一日に尖閣諸島の国有化(日本国への所有権移転登記)を完了するや、中国国内では、反日デモが続発し、一部は暴徒化して日本関連の商店・工場を破壊するにいたった。こういった反日暴動はその後収束したものの、続いて、不買運動を含む日本企業への「経済報復」攻撃が開始された。日本経済がこうむった打撃はけっして無視できるものではない。

 たとえば、中国におけるトヨタ自動車の自動車生産量は、二〇一二年九月には前月比四割減となり、一時的に生産ラインをストップするところまで追い込まれた。中国おける減産体勢は今後もしばらく続くと見られている。自動車の減産に伴って、部品材料である鉄鋼などの対中輸出にも急ブレーキがかかった。日本国内においても、中国人観光客の激減によって観光産業に深刻な影響が出はじめている。なかには倒産に追い込まれたホテルもあるという。この「経済報復」攻撃は、現在も進行中である。

 こうしてみると、丹羽大使の判断は、きわめて的を射たものであったといわざるをえない。日本国が尖閣諸島を購入した結果、まさに「日中関係に重大な危機」がもたらされたからである。

 ではなぜ、正確な判断を示した丹羽大使に対してバッシングの嵐が巻き起こったのだろうか。私は、日本政府が外交政策を立案するにあたっての「悪しき伝統」が、このバッシングの根底に横たわっていると考える。

 外交政策を立案するにあたっては、情勢判断を基礎とすべきである。情勢判断は客観的な事実を見ることから始まる。しかしながら、日本の外交においては、「何をしたいか」という願望がつねに先行し、都合のよい情報ばかりが集められるという倒錯した政策立案が繰り返されてきた。

 ちょっと考えてみればわかることだが、中国(政府)の情報をいちばん入手している日本人は、北京にいる日本人なのである。日本にいる日本人ではない。しかも、ある意味で駐中国大使こそ、中国に関するさまざまな情報がもっとも集約されてくる日本人といえる。したがって、これは駐中国大使にかぎらないが、現地の大使をはじめとする外交官が情勢判断について発言をしたのであれば、政府はその発言を重みのあるものとして慎重に配慮し取り扱うべきだった。しかし、今日の日本は、政府自ら大使の情勢判断を軽視し、公に非難するという尋常ならざる事態に陥っている。ここに、日本における情報の取り扱いに関する根本的な欠陥が垣間見えた。

 「いつか来た道」を繰り返すのか。

 ここでいう「情報」は、ニュースで受動的に見聞きするような「インフォメーション」のことではなく、外交や軍事面での行動を前提として能動的に集められる「インテリジェンス」を指している。言い換えるなら、インテリジェンスとは対外的に最善の行動をとるための情報(インフォメーション)といえるだろう。

 一般に、対外戦略を策定するにあたっては、目標を明確にすること、目標実現の道筋を明らかにすること、そして、相手の動きに応じて柔軟に対処できるよういくつもの選択肢を用意することが求められる。その際、真っ先に必要とされるのが、「外部環境の把握」と「自己の能力の把握」だ。すなわち、インテリジェンスである。いかに客観的で正確な情報を入手するかがきわめて重要になってくる。

 残念ながら、わが国は戦前も戦後も一貫して、外部環境の客観的把握に失敗しつづけてきた。主だった失敗を列挙してみよう。

 ・日中戦争の長期化……日本軍が中国の抵抗を過小評価

 ・ノモンハン事件……日本軍がソ連軍を過小評価

 ・三国同盟……松岡洋右外相が米国の強い反発を誤認

 ・真珠湾攻撃……米国は英国とともに日本に対して石油禁輸措置をとるなど日本が先制攻撃に向かうよう誘導。米国内の中立政策支持の世論を転換させ、欧州戦線でナチスと戦うための説得材料とするためだった。日本はこうした背景を認識せず。

 これらの失敗に共通しているのは、相手の脅威を過小評価して自己の能力を過大に評価する傾向である。

 現在の尖閣問題をめぐる日本の世論や識者たちの論調を眺めると、悲しいかな、またしても「いつか来た道」をたどろうとしているかのように見える。中国が有する軍事力を客観的に評価しようという試みはほとんどなされない。その一方で、「日本がその気になれば中国に勝つのは簡単」といった論調が散見される。

 しかし、これが、いかに目先の一手しか考えていない浅はかな考えかということは、戦闘レベルの問題を考えてみれば、容易にわかることだ。

 考えられる戦闘としては、レベルの低い順から次のように推移すると思われる。第一段階は巡視船レベル。第二段階は海軍力レベル。第三段階は空軍力レベル。第四段階はミサイルレベル。そして最終第五段階が核レベル。「日本が勝てる」論の論者たちは、このうち、せいぜい第二段階までしか見ていないのである。たしかに、「水鉄砲レベル」ともいえる巡視船レベルでは勝利するかもしれない。また、現段階では海軍力でも勝っているかもしれない。しかし、戦争が継続して上のレベルにエスカレートしていけばいくほど、日本が劣勢に追い込まれることは明らかだ。

 もしも、第三段階の空対空の戦いになったとしよう。中国は必ず、約八〇発の短中距離弾道弾と約三〇〇発のクルーズミサイルを仕掛けて、航空自衛隊の滑走路を破壊してくるにちがいない。このような戦闘レベルに至っては、日本が勝利できる方途は残されていないのである。

 にもかかわらず、戦闘の長期化やエスカレートといった十分考えられる客観的な危険性を無視した「日本勝利」論が、世論どころか政府内にも跋扈している。「中国に勝ちたい」という願望が先に立って、その結論を導き出すのに好都合な情報しか目に入らなくなっているからである。

 客観的な情勢分析に基づいて行動を決定するのではなく、主観的な願望に引きずられて重要な事実が見えなくなる。不都合な事実は排除する。尖閣問題をめぐる最大の危険性はここにある、といっても過言ではない。

 太平洋戦争の敗北から七十年近く経とうとしている今日、日本国民の大多数は、当時の対米開戦を疑問視する。「なぜ、あれだけの強国に勝てると思ったんだろうね」と。そして暗に、「同じ失敗をするわけがない」と思い込んでいる。

 しかし、いま中国と一戦をかまえようという議論に比べれば、当時の対米開戦はそれほど無謀でもなかったのである。少なくとも海軍力においては同等の力を有していたからだ。アメリカはまだ核もミサイルも開発していなかった。ミッドウェー海戦における大敗北までは、むしろ日本の海軍力のほうが上回っていたとさえいえる。だが、悲しいかな、米国が圧倒的な経済力を背景に、猛スピードで軍備を増強してくるという視点が欠けていた。

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孫崎享のつぶやき 12月23​日号 「日本の情報と外交ー丹​波中国大使更迭が持つ危険」