禅の言葉、「不立文字」について、鎌倉時代に凝然(1240-1321)が書いた『八宗綱要』には「達磨西来、不立文字、直指人心、見性成仏」があります。鎌田茂雄氏の訳をお借りすれば、「達磨が中国へ来て禅宗を伝えた。その教えは文字によることなく、直ちに人心を見て、自己の本性を徹見して成仏することを説いた」の解説があります。すでに見た『伝心法要・宛陵録』で「此一心即ち仏なり、仏と衆生と更に別異なし」「唯、是の衆生は相に著して外に求め、之を求むるに轉た失す」、「法身の説法は言語音声形相文字を以って求むべからず。自性虚通なるのみ」とあるのを見た。
これは多くの宗教と異なる。キリスト教であれ、イスラム教であれ、ユダヤ教であれ、絶対神が存在し、絶対神が人類に与えた教えを守ることを主たる目的とする。「モーセが神から与えられたとされる10の戒律」が代表例である。①わたしのほかに神があってはならない。②あなたの神、
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科学者らは、全く飲酒しない人に比し低〜中程度の飲酒量の人はより多様な腸内微生物叢を持っている事を発見。ブドウの皮に含まれるポリフェノールが結果を説明するのではないかと仮説。ポリフェノールであればヨーグルト、コンブチャ、キムチ等植物ベース食品や発酵食品で接種可能(NYT)
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秦剛・中国元外相は米国等に強く対抗する姿勢、「狼の戦士の異名。急速に昇進。習近平の寵児。国際的に広く活動したTVジャーナリスト、傅暁天氏と不倫関係、これが攻撃される。傅暁天氏の外国情報機関との関係に疑惑。秦剛は中国外務省傘下にある出版社に配属されてる。対外に出ないであろう。
コメント
日本人の伝統的宗教観は概して鷹揚というか、悪く言えば、曖昧というか、戒律による縛りはほぼ無いのではなかろうか?
よく言われる八百万の神々とか、神仏習合とか、独特のごった煮的感覚からか、平均的日本人で、宗教的理由から何か日常生活で禁忌視しているとか、戒律的に避けている事柄がある人にお目にかかったことはない。勿論、私も宗教的理由から、何か日常生活で避けていることはない。
だから、日本人にとっては絶対神とか、一神教というものは感覚的には分かりにくいだろう。
私は真宗門徒なので、この時期になると毎年開祖親鸞聖人の御恩に感謝する行事「報恩講」に参加している。毎年、親鸞聖人の教えを意識する貴重な機会になっている。
親鸞聖人の教えは、ある意味で単純でおおらかである。難しい戒律は一切ない。南無阿弥陀仏と唱えよ、のみである。
南無阿弥陀仏とは、浄土真宗大谷派東本願寺のホームページによると、「私たちに、人間であることを回復せしめる根源のことばです。私たちが南無阿弥陀仏と念仏申すときは、仏さまが私を呼びかけてくださるときです。お念仏は、人間を見捨てない仏さまの願いが、まさしく南無阿弥陀仏の言葉となって、私たちにまで届けられた仏さまの名告りなのです。決して、私たちの欲望を満足させる呪文ではありません。」とある。
留意すべきは、念仏とは「仏さまが私を呼びかけてくださるときです」とあり、他力本願ということで、戒律とか修行とか一切なく、念仏さえとなえれば、煩悩具足の凡夫を仏様がお救い下さる、というものである。
だから、有名な悪人正機の考え方も含めて、真宗の教えは戒律の厳守が幸福の条件となるモーセの十戒とは大分異なる。
どちらが良い、悪いを言うつもりはない。一つ言えると思えるのは、西欧文明とか、自由民主主義がスタンダードであり、世界標準であるかの考え方はもはや説得力はないし、止めるべきだ、ということ。多極化した世界では多様な文明が同じ価値を持ち、尊重されるべきだと思う。アメリカ帝国の覇権が崩壊し、西欧文明の軛から世界は解放されたほうが良い、と最近は考えている。
Indian PunchlineのMK BHADRAKUMAR氏は次のように書いている。
「ウクライナの紛争が、スラブ民族がキリスト教の歴史の半分以上を通じて独自の正教会を発展させ始めて以来、何世紀にもわたって続いてきた文明戦争である」
https://www.indianpunchline.com/russia-offsets-ukraines-kursk-offensive/
私から視ると、まさに西欧文明が仕掛けた戦争に見える。その意味で西欧文明が敗北することが、世界の「進歩発展」には不可欠ではないか、と思える。その時、日本文明も独自の更なる発展の契機を得るのではなかろうか?
拝金且つ唯物の自民党の諸君はその矛盾に耐え切れず間もなく天皇を神聖として掲げるでしょう。日本人はその覚悟が出来てますか。
>>1
戦争はマスコミの扇動で起こされるのです。商業マスコミを禁ずれば、戦争は起こりません。そういう原理ですよ。
(ID:18367902)
[Imagine there is no religion]
創造するのは一人一人の人間であるが、あらゆる事象を頭の中にインプットできる。できないのは、先入観で物事を分別するからです。執着心から解放されることが一番大切なことであり、執着すれば、「時、場所、人」の在り方が自由自在でなく何かにとらわれた言動となってしまう。
現実の世界は、「時、場所、人」の在り方が、国家の違い、男女の違い、宗教の違い、人種の違い、機能障害の違いなど
あらゆることに違いがあり対立があり、紛争から戦争に発展してしまう。
顕著な例は、現在自民党総裁選で「選択的夫婦別姓」を訴えている候補者がいる。
現在、結婚前から使用している旧姓で活躍されておりほとんどの人は不都合を感じていないでしょう。夫婦間はすでに別姓が通用しているが、子供に対しての姓名が父親か母親かを選択してしまうと、子供に不都合が生じることもある。個人的には現在問題が出ていなければ、子供に選択権を与えないことは、許容することはできない。許容できる人もおりすでに30年ぐらい前から出ている問題であるが、今急いで結論を出すことに賛成できない。