中庸左派 のコメント

日本人の伝統的宗教観は概して鷹揚というか、悪く言えば、曖昧というか、戒律による縛りはほぼ無いのではなかろうか?

よく言われる八百万の神々とか、神仏習合とか、独特のごった煮的感覚からか、平均的日本人で、宗教的理由から何か日常生活で禁忌視しているとか、戒律的に避けている事柄がある人にお目にかかったことはない。勿論、私も宗教的理由から、何か日常生活で避けていることはない。

だから、日本人にとっては絶対神とか、一神教というものは感覚的には分かりにくいだろう。

私は真宗門徒なので、この時期になると毎年開祖親鸞聖人の御恩に感謝する行事「報恩講」に参加している。毎年、親鸞聖人の教えを意識する貴重な機会になっている。

親鸞聖人の教えは、ある意味で単純でおおらかである。難しい戒律は一切ない。南無阿弥陀仏と唱えよ、のみである。

南無阿弥陀仏とは、浄土真宗大谷派東本願寺のホームページによると、「私たちに、人間であることを回復せしめる根源のことばです。私たちが南無阿弥陀仏と念仏申すときは、仏さまが私を呼びかけてくださるときです。お念仏は、人間を見捨てない仏さまの願いが、まさしく南無阿弥陀仏の言葉となって、私たちにまで届けられた仏さまの名告りなのです。決して、私たちの欲望を満足させる呪文ではありません。」とある。

留意すべきは、念仏とは「仏さまが私を呼びかけてくださるときです」とあり、他力本願ということで、戒律とか修行とか一切なく、念仏さえとなえれば、煩悩具足の凡夫を仏様がお救い下さる、というものである。

だから、有名な悪人正機の考え方も含めて、真宗の教えは戒律の厳守が幸福の条件となるモーセの十戒とは大分異なる。

どちらが良い、悪いを言うつもりはない。一つ言えると思えるのは、西欧文明とか、自由民主主義がスタンダードであり、世界標準であるかの考え方はもはや説得力はないし、止めるべきだ、ということ。多極化した世界では多様な文明が同じ価値を持ち、尊重されるべきだと思う。アメリカ帝国の覇権が崩壊し、西欧文明の軛から世界は解放されたほうが良い、と最近は考えている。

Indian PunchlineのMK BHADRAKUMAR氏は次のように書いている。

「ウクライナの紛争が、スラブ民族がキリスト教の歴史の半分以上を通じて独自の正教会を発展させ始めて以来、何世紀にもわたって続いてきた文明戦争である」

https://www.indianpunchline.com/russia-offsets-ukraines-kursk-offensive/

私から視ると、まさに西欧文明が仕掛けた戦争に見える。その意味で西欧文明が敗北することが、世界の「進歩発展」には不可欠ではないか、と思える。その時、日本文明も独自の更なる発展の契機を得るのではなかろうか?

No.3 1週間前

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