随想⑯桜散る
日々花の写真をツイートしている。花を探すのは日課となっている。当然桜は対象になる。日々花を探しいるので今まで以上に花の咲く時に関心が出ている。今年(2024年)は、温暖化が言われているのに開花が1-2週間遅れた。月曜(1日)に一二輪咲いたかと思うと水(3日)頃には5分咲き、金土日には満開で月には雨で火にはもう散り始めた。まさに「三日見ぬ間の桜」である。開花し散るのにあまりにも早い。良寛は「いざ子ども 山べにゆかむ 桜見に 明日ともいはば 散りもこそせめ 』を詠んでいる。それだけに桜というと「散る」がすぐ浮かぶ。
桜と「散る」は昔から歌われる。幾つかの和歌を見てみたい。
柿本人麻呂(660年―724年)に次の和歌がある。
『 桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰れかもここに 見えて散り行く 』
桜を超えて「誰れかもここに 見えて散り行く」と人生の移ろいを描いている。
伊勢物語第82
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コメント
「桜」。この花を思うと、真っ先に私の心に「予科練の歌」が聞こえてきます。全くの幼少時の私のハートにこの歌が刻印されたのでしょうか。
私はこの症状をTPSDに限りなく近いトラウマだと自己診断してます。この診断の結果、私は敢えて反戦反核をイデオロギーにしてます。
桜と人生を重ねて詠んだ古の人達の思いは、大なり小なり今をいきる日本人の老若男女の人生観や死生観に染み付いている。
日本人にとって桜は深いところで、日本人を日本人として結びつけている固有の記憶のようなモノに思える。
桜は街のアチコチで見ることの出来るありふれた樹木だが、なぜか桜並木の下をクルマで走っていても、目を奪われ、高揚した、浮き立つようなキブンになる。
桜の下で酒を飲み、肴を楽しむ妄想は楽しい妄想である。私は実際にはやらないが。
桜には、日本人を高揚させる作用があると思われるが、現代日本人の人生とも深く結びついているのは、単純な理由もあるからだろう。
そう、無粋にいえば、年度がわり。
4月に咲き誇る春爛漫の桜。就職、入学と晴れがましい気持ちで新しく出発する。企業も役所も新年度、新体制。節目の季節に咲く爛漫の桜、そして散り行く桜とともに人生の移ろいが記憶に焼き付けられ、鮮明な記憶として残る。
日本人の誰もが経験する共通の記憶。日本人を日本人たらしめる共同幻想の一つが桜ではないか、と考えている。
桜、年度替わり、時のサイクル、人生の移ろい、咲くハナ、散るハナ、そしてまた一年。このように断片化された一つ一つが桜と共に深く結びつけられた国民的記憶となって悠久の歴史を繰り返しているようなイメージがある。
大袈裟にいうなら、桜はグローバルスタンダードやグローバリズムにそぐわない。
桜は日本人を日本人たらしめている要素ではないか?と。我ながらウヨクチックなこと書いているなぁ、と恥ずかしくなるが、しかし、最近はアメリカ帝国を筆頭にするグローバリズムこそが「敵」の本質ではないか、と考えるようになってきた。
グローバリズムに抗うためには、日本人や日本のスタイルに拘る、或いは貫くことが必要である。そして独立自尊の国造りが本当に重要と考えている。
人生の節目と結び付いた桜。即ち、年度がわりが4月であることは、日本人にとって深い意義があると考えている。
だから、東大の9月入学の動きを憂慮しているし、私は9月入学論に大反対である。
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20240218-OYT1T50107/
>>1
桜から一転してLGBT法。日本の対応は実に遅い。民主主義日本を言いたいなら、男尊女卑の廃止も同時に制度化せねば片手落ち。
個人の意思で変える?それは異な受け止め。心も生まれつきの部分があることを知らない蒙昧と言えましょう。この蒙昧も日本のB層の傾向の一つです。
(ID:18367902)
如是、自然の摂理に従って生きるという日本の文化の奥深さが、風流という自然体で表現されている。
この独特の文化の中で、「LGBT法」が成立し、如是なる自然体が、個人の意思で変えられるという。
外形は男でありながら、「心」で女と思えば女と見なければならないという。
日本の詩歌の文化はどのように変質していくのだろうか。