中庸左派 のコメント

桜と人生を重ねて詠んだ古の人達の思いは、大なり小なり今をいきる日本人の老若男女の人生観や死生観に染み付いている。

日本人にとって桜は深いところで、日本人を日本人として結びつけている固有の記憶のようなモノに思える。

桜は街のアチコチで見ることの出来るありふれた樹木だが、なぜか桜並木の下をクルマで走っていても、目を奪われ、高揚した、浮き立つようなキブンになる。

桜の下で酒を飲み、肴を楽しむ妄想は楽しい妄想である。私は実際にはやらないが。

桜には、日本人を高揚させる作用があると思われるが、現代日本人の人生とも深く結びついているのは、単純な理由もあるからだろう。

そう、無粋にいえば、年度がわり。

4月に咲き誇る春爛漫の桜。就職、入学と晴れがましい気持ちで新しく出発する。企業も役所も新年度、新体制。節目の季節に咲く爛漫の桜、そして散り行く桜とともに人生の移ろいが記憶に焼き付けられ、鮮明な記憶として残る。

日本人の誰もが経験する共通の記憶。日本人を日本人たらしめる共同幻想の一つが桜ではないか、と考えている。

桜、年度替わり、時のサイクル、人生の移ろい、咲くハナ、散るハナ、そしてまた一年。このように断片化された一つ一つが桜と共に深く結びつけられた国民的記憶となって悠久の歴史を繰り返しているようなイメージがある。

大袈裟にいうなら、桜はグローバルスタンダードやグローバリズムにそぐわない。

桜は日本人を日本人たらしめている要素ではないか?と。我ながらウヨクチックなこと書いているなぁ、と恥ずかしくなるが、しかし、最近はアメリカ帝国を筆頭にするグローバリズムこそが「敵」の本質ではないか、と考えるようになってきた。

グローバリズムに抗うためには、日本人や日本のスタイルに拘る、或いは貫くことが必要である。そして独立自尊の国造りが本当に重要と考えている。

人生の節目と結び付いた桜。即ち、年度がわりが4月であることは、日本人にとって深い意義があると考えている。

だから、東大の9月入学の動きを憂慮しているし、私は9月入学論に大反対である。

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20240218-OYT1T50107/

No.4 7ヶ月前

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