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2日―9月1日、米韓合同軍事演習を開始。文在寅前政権下中止、規模を縮小。今の時点で.再開・規模拡大。北朝鮮の反発は必至。金正恩7月27日演説、「大規模合同軍事演習を堂々と展開している」と非難、「我々の安全と根本利益侵害なら、必ず大不安と危機を甘受しなければならない」。なぜわざわざ緊張を生む手段をとるのか。
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沖縄知事選、9月11日投開票。最大焦点は辺野古移転の容認問題。最近次第に容認派が勢力拡大。参議院選反対派274,235票。容認派271,347票。僅差。ただし今回容認派では 下地氏と佐喜真氏が立候補し票が割れる。現職玉城知事が優位に立つとみられる。
コメント
インフレになると資産の実質価値が目減りするというのは単なる事実であるが、格差が拡大するというのは、どういうことだろうか。(タイトルに、「忍び寄るインフレ課税、格差拡大し不満増幅する構図」とある)。
荒っぽい言い方ではあるが、資産をもっとも持っているのが高齢者であり、格差がもっとも大きいのも高齢者なのだから、資産価値が減れば、高齢者間の格差は減るのではないか。本文を読んでも、ここの疑問への答えはないようにおもう。
一方、労働賃金は、政策さえ間違わなければ、後追いにせよインフレ分は上がっていくと考えている。政策というのは、労働移民を入れないこと、現代の生産手段である土地、会社、知的財産を外国に売らないこと、知的財産を保護しさらに増やすこと、である。これが守られれば、少子化で労働力不足のなか、たとえ非正規であろうと、それなりの収入を労働者は得ることができるであろう。ただ、現在の与党が上で掲げた政策を追及しているかは大いに疑問がある。
インフレになっても、現役世代の労働者の社会保険負担や消費税はあげないでほしい。もはや現役世代に高齢者を支えるチカラはない。すでに重税感は強い。
高齢者の医療、介護、年金の不足分は、資産をもっている高齢者への資産課税等によって補填すべきだ(テクニカルな議論をする能力は自分にはないが)。そうすれば高齢者間の格差も減るのではないか。ただし、そうなれば、わたしの想像では、ここに書いているほどの高齢者は、ほぼ税金が増える側だろう。
>>19
高齢者への資産課税で医療介護年金不足を補てんする。
素晴らしい考えです。是非、自民党に取り組んで欲しいものです。
TWTR:②を行わないで①だけ行っていれば、武力拡大し結果的に戦争する国にする━②を行えないのは何故か。「護憲勢力」も対米(DS)隷属だからである。彼等の心情:「すべての問題で平和的解決を探求しても、DSに睨まれ、潰されるだけ。いいことは何もない」ということだ。
連日マスコミが出してくる統一教会-自民党のズブズブ癒着も、根本は自民党の対米(DS)隷属故だ。日本におけるDSの代理人=統一教会には、自民党は頭が上がりようがない━この核心をハッキリ認識した上で、DSの日本支配に日本の国民もNOを突き付ける覚悟を持てるか否か。そういう話だ。
(ID:18367902)
労働者が戦う姿勢を放棄しており、物価が下がり、生活が安定した時代が長く続いた。
中国など開発途上国に生産拠点を移し、物価を破壊し、国民に安価な価格で長い間供給できたという開発途上国搾取の時代が続いたということと同義語である。
海外で搾取する時代が終わり、初心に帰って、労働者は賃上げ闘争しなければ、また、できなければ専制国のように実質的奴隷化が進むということでもある。
労働運動が過渡期に入ったのは、賃上げが続き、産学協同思想が蔓延し、労働者の戦う姿勢が失われていったことが主因である。最近では「ストライキ」という言葉を聞くことがない。死語になっているといえる。
労働者が戦う姿勢が失われていく中で、就職氷河期があっても、ワークシェアリングの言葉が出てきても強欲高齢者が協力しないので当時の犠牲者は現在も犠牲者のままである。契約など新しい働き方が出てきたが労働組合は真正面から対応できず、正当な権利である給与体系でなく、給与を生産財に組み込む体系を暗黙に認め正規の給与体系を守ってきている。
労働者を安価に働かせるシステムも外部要因によって賃上げせざるを得ない状況に置かれわずかな賃上げが動き出している。本質的には、労働者は戦わなければ専制国と同じように搾取される時代に移っていることを認識すべきでしょう。
大企業に勤務する時代から、個別の技量によって仕事を作り出していくことができる時代であり、大量均一化に逆行した多様化商品の開発によって、消費者のニーズを先取りしていく時代なのでしょう。
労働力を、企業に買ってもらうか、自分の労働力を商品化につなげるかの道に分かれるが、難しいことを考えるのでなく、農業、漁業、林業など自然を相手にした一次産業労働の在り方の重要性も改めて見直すべきなのでしょう。