私は高校で日本史を習いました。松平定信への記述は当時とあまり変わっているようには思いません。
「田沼意次がしりぞいたよく1797(天明7)年、江戸・大坂など全国30余りの主要都市で打ちこわしがあいついでおこった。なかでも江戸の打ちこわしは激しいものがあったので、市中の米屋などが多数おそわれ、幕府に強い衝撃をあたえた。こうしたなかで、11代将軍徳川家斉の補佐として老中に就任したのが、白河藩主松平定信である。
定信は祖父吉宗の政治を理想とし幕政の改革に着手した(総略)。定信の改革を寛政の改革と呼ぶ」。」
だが、不思議と頭に残っているのは当時の風刺です。
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶぶんぶ(文武)といふて夜もねられず」
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」
最近偶然、松平定信著『花月草紙』を読みました。記述の鋭さにびっくりしました。
「志と智のこと。こころざし五つあり
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随想㊸ 絵画 「癒し」の画家イサーク・レヴィタン「春の水」({静かな住処}等。癒しを求め,ロシアの森や川に入っていった人間が、それを描き、人に癒しを与える
コメント
> 第二次大戦突入までの歴史を見ると、「志」の圧倒的重視で、「智」の軽視であったのであろうと思います。
換言すれば、日本には何処にも まともな「戦略」が無かったということでないか。あっても せいぜい「相手をやっつける」視点のものレベル。
> 規則を守ることが重要だとすると、いつの間にか当初の精神と違う方向に行く
軍隊や官僚等のシステムが思い浮かぶが、まさに今の日本で目の当たりにしていることだ。
だが、例えば、「規則」通りに動作している航空機、自動車、家電等のシステムが、いつの間にか「心臓部」の暴走で動作が危険な方向に行く━こんなことは放置されない。システムの上流~下流までのあらゆる層から直ちにフィードバックが掛かり、軌道修正が図られる。何重ものフェイルセーフ機能が働くよう設計されているからだ。日本のお家芸でもあろう。しかし、それが政治/官僚機構等、「人間」のシステムには一向に活かされない。すると必ず「人間は工業製品ほど『単純でないんだよ』」と言うのが出てくるが、そんな輩こそ「智」が無い証拠だ。
随筆としては道徳にやかましい徳川時代を代表したものであり、すべて教訓的道話である。
大変興味深く見ているのは、メモをめくっていくと、2019年2月に同じような話が発表されている。オックスフォード大学の人類学者トリバースコット・カレーの研究チームが世界に存在する600以上の文化的記録と60以上の地域社会から集めた情報をによって極めて今回の道徳的道話が似通っているのです。
人間社会の相容れぬ文化同士は絶えず衝突を続けるものと悲観的に考えるが、あらゆる文化は7つの「共通の道徳的規範」によって成り立っている。
① 家族を助けること。
② 自身の所属するチームを助けること。
③ 互いに報いること。
④ 勇敢であること。
⑤ 尊敬すること。
⑥ 公平であること。
⑦ 財産権を認めること。
いずれもポジティブな道徳的規範である。
規範に当てはまらない例外的なものは
「他人から公然と盗むことは優位性を示し、他人の攻撃的な力に脅かされないことを証明する行為である。」
智も無ければ、志も無い。式も無ければ、法も無い。果して、どうなりますか。