「音楽とは何か」。ショパンはこれに答えている。「ショパンが死亡する前の1949年
5月、結核の末期に入っていたショパンは、すでに作曲もできなくなり、階段も一人では降りなくなるほど衰弱していました(中略)。彼はピアノとは、そして音楽とは何なのかということを、はっきり言葉にしておきたいと考えたのです」「“音楽とはなにか”という本質についてまとめようとしています。
音によって表現される芸術は、音楽と呼ばれる。音によって思想を表現する芸術。音を操作する術。音によって表現された思想。音による我々の知覚の表現。音による思想の表現。音による我々の感情の表出。人間の定かならぬ(模糊たる)言葉、それが音である。定かならぬ言葉、(つまり)音楽。言葉は音から生じたー言葉以前の音。言葉、(つまり)ある種の音の変容。話すのに言葉を用いるように、音楽を奏でるには音を用いるのである」
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民主主義と日本➃:戦争責任者の問題(抜粋)・伊丹万作:俺が騙したといつた人間は一人もいない。日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだ。「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
コメント
>>5
なるほど、確かにそうですね。
音楽を祈りとしてとらえたコメントがないので一言。
祭事の祈りが、キリスト経典・イスラム経典・仏教経典の言葉を何度も何度も繰り返し唱えているうちに、だんだん歌のようになって聞こえてくる。
キリスト教の場合、ローマ・カトリック教会に期限を求められる。具体的に、バッハの「主に向かって新しき歌を歌え」とかモーツァルトの「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」などの宗教音楽がある。
仏教経典を多くの僧が唱える光景は、荘厳でなんとも言えない気持ちになる。
イスラム経典の読誦風景も心洗われ、すがすがしい気持ちになる。
音楽は、人間が生きていくときなくてはならないものではないか。ショパンのピアノ曲によって、くじけそうな時励まされ気持ちを新たにして生きてこられたのでしょう。
今回の孫崎さんの文章からは、崔善愛という人は、「自分の音楽と自分の政治活動をどう説明するか」というテーマを一生懸命考えて、優等生的な結論を得たという感じを受ける。どこかで聞いた、誰かに影響を受けてる、ありふれてる結論だけど、まあ無難だよね、という感想だ。
崔善愛の音楽観を広く「自分の個性や思想の発揮」と考えれば、そういう音楽観が根付いてくるのは、西欧でもルネサンスのころから前史がはじまり、ようやくベートーベンとかショパンのころから確立するわけで、つまりは近代というものと結びついている。孫崎さんがあげているのも、ほぼ現代の音楽家たちである。
つまり、崔善愛の音楽観は近代と結びついている。そしてその同じ近代が主権国家で成り立ち、国籍の区別を厳密におこなうことで安定していて、そのなかで音楽活動をして収益もあげているわけである。まあ、崔善愛という人がそこまでは考えが至らなくてもしかたないとはおもう。
以上が今回言いたいことのメインだが、付け加えると、
近代以前は、民衆の祭りなどで素朴なものはあっただろうが、洗練されたものは神仏への賛美や祈りだとか王侯貴族の行事や慰安と結びついていた。そこでは典型的には音楽家は職人であり、「自分の個性や思想の発揮」などは考えなかっただろう。
ここで重要なのは、「自分の個性や思想の発揮」という音楽観があるから音楽も立派だ、とはならないことだ。音楽家個人やそのファンがそう感じるのはもちろん自由だが、客観的に見て、近代以降の「自分の個性や思想の発揮」の結果、ダメな音楽や、音楽に限らずダメな芸術一般の死屍累々はやまほどあるのじゃないかとおもう。
近代以前の音楽職人の世界では、そもそもある程度の才能があるとおもわれるものが選抜され、お手本にしたがって修行をし、まれに天才が出るが、多くは平凡で、平凡なりにまあまあの成果をあげる。少なくとも死屍累々にはならない。平凡がまあまあの成果をあげうるのは、お手本があったり型が決まったりしているからで、「自分の個性や思想の発揮」とは逆のベクトルだ。
現代でも、たとえばモランボン楽団というのがあって、DVDしかみたことはないが、あれはあれで質が高く、ある種の感動もあり、もっと知りたいという印象を個人的には受ける。しかし、もちろん想像だが、モランボン楽団のひとたちは、崔善愛のような、つまり「自分の個性や思想の発揮」という方向の音楽観は持っていないはずだ。
(ID:18367902)
本随想で、韓国問題の根の深さを実感せざるを得ない。
安倍政権が韓国に対してとった外交処置は、当然の措置であり、国際的には否定されるものではないが、中国の香港の人権問題で共通認識に立てるのではないか。親中国のオーストラリアは100度方向転換。英国・ドイツなど米中経済戦争では米国に組しなかったが、人権問題とコロナで、輸出比率が高くとも方針を変え始めた。国際社会の目が中国に対して厳しくなっているのです。
韓国にとって日本の対応が正当であることが分かっていながら、兄弟国である北朝鮮との分裂状態・安全保障体制における米国の存在がある。国内経済が輸出に依存し、中国に経済依存せざるを得ない状況もあるが、韓国の技術的優位性も中国の技術取得が現実化すれば、どこかで他国に輸出先を変えていかなければ、韓国の経済が成り立たない。
日本は輸出比率が高くなく、どこかの国に比重が多くかかっておらず、経済的に米国、中国に対してフリーな選択ができる。硬直化した中国のような国家にどのように対応していくべきか、両国のひざを突き合わせた戦略構想を立てない限り、両国とも米中に振り回されることになる。
対中国の大局さえ相互確認できれば、慰安婦問題・徴用工問題など解決するのに大きな問題はない。双方が狭い料簡を捨て去り、両国が生き残る道を選択すべきでしょう。両国の友好促進が北朝鮮問題の解決に道を切り開く可能性を信じたい。
在日日本人の心中を思いやると、両国政府の責任は重い。