私達日本人のほとんどが、枕草子を随筆の最高傑作の一つと習い、目に触れてきている。
枕草子の第一段は「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」で始まる。冬については「冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶の火も、白き灰がちになりぬるはわろし」とある。
確かに、あけぼの詩情を呼び起こす。芭蕉の「曙や白魚白きこと一寸」や一茶の「曙の空色衣かへにけり」等がある。こうしたあけぼのについての他者の描写と、、枕草子とを比較してみると、曙の描写では。清少納言は群を抜いて素晴らしいことが解る。
それにしても何故「春はあけぼの」になるのか。春にはもっと代表的とされるものがある。
ブログに「蕪村俳句の
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中国の技術は西側諸国より大きく遅れ、中国技術面で全面的に西側に依存のイメージがある。技術開発に力。①5G特許保有でファーウェイが世界トップ、②文科省のNISTEP自然科学論文数で中国世界1位、③英科学誌ネイチャー、論文数世界一機関は中国科学院
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随想⑫ 藤原真理
コメント
なしさんのご解説よく分かります。ありがとうございます。
自分は小学校の低学年の時に国語が苦手でした。
国語の苦手が克服されだした頃から他の成績も良くなりました。「のび太」の成績があがり嫉妬も。
日本文の漢字仮名交じり文は最初の勉強に苦労するが、後々は平仮名ばかりの文章を読むより読み易くなりました。
漢字仮名交じり文は、文章内の漢字の増減で、能力によって小学生から大人まで学べる、使える便利な面があり、中国は仮名文字が無い分学習や使用に苦労があるかもしれませんね。
日本の人名や地名は奇々怪々でルビは必須と思います。
漢字仮名交じり文の利便性が東アジアで先に優等生になれた要因の可能性もあると思います。
わたしはなにも日本語から漢字を追放してカナ表記にせよと
主張しているのではありませんよ。
そんな文章など読めたものではありません。
漢字語をカナで書いたところで和語になるわけでもありませんし。
わたしは明治の小説家が嫌いです。
やたらに、矢鱈に、なんて薄汚い日本語表記が出てきますので。
漢字は高級な文字だという価値観が支配していたのですね。
流石に、と書けば読者は小説家の先生はさすがだと一目置いて
くれるだろうとでも思ったのですね。
中世日本の作家の美しい日本語を引き立たせてはくれますね。
わたしは自分の書くものがなるべく読みやすくなるように
気をつかってますので漢字とカナのバランスに気をくばって
います。
とりだす、と打ちこむとデフォルトの変換が取り出す、となりますので
とり出す、取りだすなどいろいろ試してから決めます。
読みにくくならない程度に漢字を減らすというのがわたしの流儀。
決める、決定する、ならなるべく決めると書きたいのがわたしの
やり方です。(きめるとかければ最高)
あくまでも、なるべくですが。
あと、漢字カナまじり文が日本の発展に寄与したのではないかとの
ことですがそれはどうでしょうか。
韓国はかつて日本ほどではないにしても漢字ハングルまじり文でした。
韓国の朝鮮語は漢字語の洪水ですが、表記に関するかぎり漢字使用を
やめてしまいました。(うらやましい、ハングルはそれができるのです)
偶然でしょうが韓国の発展はそれと時期をひとつにしています。
(ID:19005377)
枕草子と共に語られるのが源氏物語ですね。これらの作品に私は別の観点からも非常に興味深く思っています。両作品とも漢語が殆ど使われずに殆ど一貫して大和言葉で綴られていることです。
日本と同じく島国のイギリスでは言語の母体はゲルマンですが、ラテンの言葉も入って来ていて、混血して、現代英語になっているように、日本語も大和言葉と漢語が混血して、現代日本語になっています。
私たち日本人はこれらの古典を紐解けば、いつでも日本語の原型に戻れるのです。しかも、文学というジャンルで戻れるのです。このことは日本人にとってラッキーなことだと思ってます。英国ではせいぜいシェイクスピアからだと言いますし、彼の作品は混血後の限りなく現代英語に近い英語です。
日本語が激しい変動が無く穏やかに発展した理由は、騎馬民族に征服されなかったからだ、と専門家は指摘しますが、勿論、そういうこともありましょうが、王朝時代の女性の文学志向の存在も忘れてはならないと思うのですが。