アイゼンシュタットは一九二三年ワルシャワ生まれ。ヘブライ大学教授。ハーバード大学、スタンフォード大学等で客員教授。
・明治国家の最大の特徴は、驚くべき速度で、高度な政治的・行政的中央集権が達成されたことである。行政の中央集権化は、幾つかの段階を経ながら、次の三つの特徴を備えていった。(1)統合の中心的権威としての天皇の名における支配、(2)統合的な中央官僚制による直接支配、(3)国民皆兵制、士族の廃止、統一的権利の制定における国民の平等。日本は何百もの大名の支配から統一国家へと姿を変えていく。江戸時代の半自律的な地方権力や法的伝統は、全国共通の法制度によって取って代わられ、中央権力が全国津々浦々に浸透していった。
・明治日本の新しい政治制度の設立は、欧州の国民国家における国家建設の過程と似通っていた。いや、多くの点で日本はそれを模倣したのだった。
・同時に、騒乱が多数起こったのも
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南北高官協議開催の方向へ。この中マティス米国防長官は韓国国防相との電話協議後南北高官協議は「平昌五輪についてのみ協議する」と語った。つまり他を話すなと指示。朝鮮半島の緊張、更には武力衝突は韓・米・日の利害が異なることを理解すべし
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NHK世論調査、野党動向が極めて興味深い、公明党式率2.4%と-1.7%ダウン、希望の党は-0.4%で1.0%、 民進党も-0.5%で1.3%、他方立憲民主党は+1.3%で9.2%、
コメント
>>3
いやー!なるほど。啓発されますよ。
明治維新は、再考する必要あり。軍事クーデターに近い。薩長藩閥政府の中枢はさんざんテロ行為を行って民主化の流れを排除。あれだけ攘夷を叫んでた連中が欧化政策、アジア蔑視に突き進む。特に長州は朝敵だったはずなのに幕府側を朝敵に。大政奉還した時点で
平和裡に新体制に移行すべきなのに無理矢理討幕に走り無益な血を流した。薩長の裏には覇権国である英国がいたのではないかと思考する研究者もいる。
またしても「問」!ただフンフン頷いて読むだけでは済まされない厳しいブログ。
次作は「孫崎享の『解答の無い問題集』」-如何でしょう。
(1)上の命令に黙って従う国民だけにする国づくりに励んだと取れる。企業でも現場の自主性を尊重せず、上があれこれ勝手に決めるケースがままある。「お前たちじゃムリだ。これは親心だ」と。逆らうものは次々に左遷。徳の無い上は早晩腐って、職場も全滅。
(2)「個」が確立すれば、無条件に上に従順たり得ない(実例:孫崎さん)。上にとっては邪魔なだけ。アベのように徳の無い者への「忠誠の観念」は「忖度」でしかなく、カルト国家づくりには好都合だ。
(3)一億総兵隊化の軍隊国家を目指していたならば、所謂 武士道とは何の関係も無く、権力に従順かつ短絡的な「力」の信奉者、つまり「ヒゲの佐藤ナニガシ化」を意味しようとしたのでないか。
そんな時代に完全に逆戻りとはイヤハヤ...
(ID:19005377)
私の答えは次の通りです。
問い1.
支配層にとっては自律的な社会勢力の成長は危険なものです。常にチェックし反抗の芽を摘み取ることが肝心。支配層の政治課題は、民主的でない限り、言うことを聞かない連中を弾圧することではないでしょうか。民主的でない権力とは権力者の強欲に基づく政治を行う権力のことです。
中央集権体制は、日本に於いては産業と言えば水田耕作だけだと言えますから、しかも、島国で、民族はヤマトンチューだけとなれば、古代から続く必然的な権力構造ではないでしょうか。戦後だって、蜷川知事が憲法をバックに地方自治を戦ったが、刺客が投入され失脚に追い込まれ、今や地方自治は根本から崩壊しています。
問い2
西欧の近代化はキリスト教との関連性を無視できない。西欧では個々の人間と神との契約が個々の人間存在の基盤にあるから、個が確立して行くのは必然です。そして、個の主体性が重要視される実存主義を生みだした。一方、日本には神との個々の契約概念は無い。そこに在るのは村単位の集団思考です。そのような社会構造はサルトルの哲学を批判して登場した構造主義哲学を支えていると言えましょう。日本は全体主義やファシズムに容易に転化する傾向を持って居ると言えましょう。
問い3
尽忠報国、滅私奉公だと思います。