私達は今、安倍首相が民主主義国家を破壊し、実質的独裁国家体制に入ろうとしている。
不思議なことに国民側に危機感はない。
しかし考えて見ると、日本の歴史は独裁容認国である。
徳川政権がそう、明治政府がそう、第二次大戦前の軍人支配体制がそう、マッカーサー下の占領時代がそう。二つの文献紹介。
A-1:事実関係1
トルーマン大統領
トルーマンは1945年4月から 1953年1月まで米国大統領であり、日本の占領期と重なる。彼の著書『トルーマン回顧録』1・2(恒文社、1966年)からの引用
・マサチュセッツ大学の著名な総長カール・コンプトン博士は、戦争中日本の科学者や技術者がどんな進歩を得たかを知るために日本である程度の時間を費やした。帰国するや彼はホワイトハウスに来て、私に占領について、非常に啓蒙的な説明をした。
彼にまとめてもらった覚書きの内容は次のとおりである。
「私達は日本人が明らかに
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戦前10年と戦後70年余の、世界的地位を経済的に比較してみると面白い。戦前10年ぐらい、米国のダントツの第一位は揺るがないが、日本は4位である。戦後は長い間、世界二位を地位を保持してきた。米国のお陰だけではない。基本的に優秀な民族なのです。
原動力は何かといえば、集団的な組織力である。一つの方向を定めると、集団の隅々まで方向性が一致し、同じ人数なら欧米より何割か大きい成果を出すことができるのです。年功序列制の人事、報酬制によるところが大きい。米国にたたかれ、米国に迎合するたちによって、職務給などに変更し、集団的な力が劣化し、失われた何十年が過ぎていったのです。
現在は、金利がマイナス金利であり、巨大企業にとっても、新規企業の進出においても、金融的な負担が極めて軽く、一般庶民には実感がないが、企業レベルで見れば、躍進できる環境にある。国民感覚とかい離しているが、安倍政権のマイナス評価にはつながらないといえる。しかし、財政赤字の問題はある。
政治的には、米国との同盟関係は天皇制と深くつながっており、日本における個人の人格は、天皇だけであり、三権分立といっても、政治家、官僚などは米国の臣であり、個人などは使い捨てであり、個人としての人格などないに等しい。戦前は、トルーマンがいっているとおり、米国がなく、天皇の国家であったといってよいのではないか。
日本人は、経済活動は、生き生きと活動しており、政治などは、専門家に任せておけ、どんな政治体制になろうが、商売の道は変わらないと、喝破しているとみるべきであり、日本人の変わらぬしたたかな強さを認める必要性がある。ミサイルなど堕ちる時は落ちる。そんなことにあくせくしても始まらない。やれることはやるんだという、開き直りとみることもできるのです。開き直りほど強いものはないのです。
(ID:20329113)
最近の孫崎さんのコメントを拝見していて「そうだな」と思う点もありますが、自分の思い通りにいかない時に悲観的になり、他者を責めてしまいがちになる点を冷静に判断なさった方が良いとも感じております。例えば、教師は「最近の生徒は」「最近の学生は」を必ず連発します。また、会社の上司も同じです。人間は他者が自分の思う方向へ動いてくれない時、動かない人間を批判します。しかし、何故、彼らが自分に賛同してくれないのか...その方法は本当に正しかったのか、理にかなっていたのか、賛同を得られるだけの工夫はなされていたのか...etc.を良く考えてみる事は大変重要です。国家権力の側にいた人々に多い発想ですが、孫崎さんは官僚でいらしたので、根本的に自分が何か言えば下々の人間なんか動くものだと思っていませんか?人間はそうは簡単に動きませんよ。上から目線で物を言えば反発をくらうだけです。自民党は自民党なりにうまくやっている訳です。それ以上の納得を多くの人々から得る事ができなければ結局は負けなのです。何も無い個人が人々に訴えるのですから、そんなに簡単に物事が進むわけはありません。そう考えたら、見えてくる事は沢山ありませんか?
(ID:39908927)
>>1
日本社会に対する、絶望的脳天気な見解の代表といえるのかな?この人は・・・